オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

髑髏城の七人 Season月 下弦 12/27感想

《本記事にはネタバレを含みます》

 

■12/27 ソワレ(下弦四回目)

 

このお芝居は最高。本当に最高。

四回目にしてこんな気持ちになるなんて...と打ち震えています。



これまでに観た三回と方向性が全く違う。

「死ねないから生きている」人たちの話だったのが、「生きているから生きていく」人たちの話に変わっていました。

まさかこのベースが変わるとは思わなかった。前回見たの数日前なんですけど...この舞台すごいぞ。


とにかく皆あんまりにも必死にギッタギタのドロドロになりながら意志を持って生きていて、その眼の光があんまりにも強くて、四回目にして随所でボロ泣きしてました。

 

 

・極楽大夫

このひと元々はそんなに強いひとではなかったんじゃないかなと、初めて思いました。雑賀の仲間を殺された経験やそれからの苦難の中で、自分が生きるために、ほかの生き残った娘たちを生かすために、強くなろうと決めて必死に強くなった人じゃないかと。

蘭兵衛とは今回は姉弟っぽかったです。男女の仲であるより、姉弟でいることがふさわしかったから姉弟になった男女。それぞれ死にたいくらい辛い経験をして、でも生きると決めたから、支えあって生きてきた姉弟

話がそれるんですけど、太夫のほうは恋愛感情があっても、蘭兵衛は恋愛という概念を持っていなさそうですよね。殿への感情が近いものだったかと思いますが、恋愛と括るには多層的すぎてそれが絶対的すぎて、この人に一般的な恋愛感情ってないのではないかと思います(そう見せるような振る舞いはしないだろうけど)。

それはともかく、太夫と蘭兵衛がお互い大事に思ってるんだなというのが今まで以上にすごく伝わってきました。

で、本当はそんな男を手にかけられるような人ではないんですよね、太夫は。憎しみや復讐の念に任せても、倫理や正義を振りかざしても、たぶん撃つ覚悟なんて持てなかった。

それでもあの幕引きを選んだのは、来い太夫、と言った蘭丸の目の中に、一緒に生きてきた大切な人の意志を確かに見て、それに応えたいと思ったからではないかと思いました。大事な人のために強く生きようと決めた太夫だから撃ったのだと思うと、そんなのありかよ...ってなるんですけど、それが二人にしかわからない、二人の関係のあり方だったのかもしれないと思います。


 

・兵庫

荒武者隊皆殺しになったとこ、いつも以上にあぁこのひとは人の死を見たことがなかったんだな、と思わせるような声音や振る舞いでした。実際には一人斬り殺して村を出てきたわけだけど、たぶん真正面からそれを受け止めてはいなかったんじゃないかな。

兵庫は荒武者隊が皆殺しにされて初めて、他の主要人物(捨之介は別枠として)に視界水位が追いついたとこがあると思います。それが兵庫というキャラクターを立体的にして、リアリティを持たせる。

その地獄みたいなリアリティがあるから太夫へのプロポーズに重みが出るわけで、その重みが今回今までで一番重くて深くて泣きました。死を知ったからこれからの太夫を支えられる、っていうのは、ああもがいてる、もがいて生きてる・・・という感じでとてもグッときます。

 


・霧丸

ほんとにほんとにすごい。復讐だ恨みだって言っているフェーズと、そのあとでの顔つきも雰囲気も全然違う。立ち上がり方がめちゃくちゃまっすぐ。

あの捨之介を支えてはたいて立ち上がらせる説得力、それもやっぱり地獄をみたからこそできることで。あれ私さっきと同じこと言ってる。

家康との交渉で冷静なトーンから入るのも良かったです(そもそも嘆願ではなく「交渉」という大人の理屈に合わせる側面が出てきた)。そのあと金500枚の話を出す段には一転、軽妙になるのもまたいい。これ、首の話してる時の家康の反応を見て、こいつなら金の話出してもいけるな、と踏んだから言ったんですよねきっと。意外と狡猾というか、よく考えたら霧丸ってきれいなだけの人間ではないし、現実的な成長ができる人なんですよ。これが霧丸の強さでもあると思います。

と色々考えられるくらいキャラクターや存在感が厚くなってきてほんとすばらしいです。

霧丸が話の全体のトーン握ってるような気もしてくるくらいで、捨之助とW主演くらいになってもいいのでは...!?

 


・捨之介

前回もかなり変えてきたなと思ったんですが、数日でまた完全に別の物語を作ってました(この話のメインって天魔王が退場してからなのか・・・と思い始めている)。

今回の捨之介は、天魔王が自死して愕然として、でも霧丸と極楽太夫に生きろと喝を入れられたその時点で「自分で決意して」闇を振り払うんですよね。表現としては振り払ったというより「捨てた」のほうが近いし、それって蘭丸と天魔王とは絶対に理解しあえなかった、っていうのを認めて彼らと永遠に決別することとイコールです。あの時自分でそれを選んだんだんだな・・・と思うと、ものすごい前の向き方をしたなと思えてつらいし、つらいからこそ力強い。


そこからの家康とのシーンもめっちゃくちゃによかったです。

ふらふらぼろぼろになっても生きるのを諦めずに戦って、首を差し出すと言った時も確固たる差し出し方をする。

「天に誓ったこの俺の、ここが命の捨て所か」っていうセリフがこんな力強く切り込んできたこと、今までになかったです。逃げでも諦めでもなく、自分の命の価値を認めた上で、仲間を助けるためにそれを使おうとしてるっていうのが明確に分かる。

前回ここほとんど死人だったからね...こんなに変わるものなのかと。

(そういえば、天に誓ったこの俺の、ってセリフは捨之介らしい自分勝手さが出てるなと思ったのですが、この話はとりあえず置いておきます)

 

さっき「捨てた」という言葉を使ったんですけど、あそこで捨之助が捨てたのは、昔の仲間と分かり合えると思っていた自らの考え方とか救えると思っていた傲慢であって、蘭丸と天魔王のこと自体はずっと抱えていくんだろうなぁ。捨てるっていうのは楽じゃねぇな、というのはそれも込みで、ようやく捨てるということの意味がわかった人間の言葉になっていました。


そしてそして、柄じゃねぇよ!という最後のセリフがまたいいんですよ。

それこそ登場シーンみたいに気のいいあんちゃん系のトーンだったんですけど、捨てることの難しさとか、そもそも自分が何も捨てられないということを骨身まで思い知らされた人間の凄みみたいなものがあって、その上で清々しさがあって。このお芝居この一言のためにあるんじゃないかというくらい最高の一言でした。

 


・蘭丸

このひと真面目で、人に誠実にしか生きられないんだろうな。殿の生きろという言葉を守って必死に生きてるし、自分を生かしてくれた無界屋の人達に対しても真心をもって尽くす。あいつらがいたから生きていた、と思ってること自体が、この人らしい考え方だよなぁと思います。

今回の蘭丸は、殿のあとを追いたかったからとか天魔王に殿を重ねたからとかではではなく、亡き大切な人のために天下取りを実現させたくて天魔王の手を取ったのだと思います。

だから天魔王に裏切られて激昂するんですよね(今回の蘭丸はこのシーン、まさに激昂という感じでした)。彼にとって、「殿のために」天を取る、というのは絶対に譲れないことだったのに、天魔王の思惑がそれとは違うことがわかったから。

それでも天魔王を庇うんだよなぁ、それが彼の生き方だから。このひとは天魔王にまで誠実なんだよ...もうそういう生き物なんだろうな。蘭丸くんはそういう生き物。

あと、来い太夫、のところの強い目がすごく好きです。あの目を見てると、やっぱり愛想のいいニコニコ優男の無界屋蘭兵衛も、無界の人間を皆殺しにして笑っている蘭丸も、同じ一人の人間だったんだなと思います。


蘭丸もキャラ造形(?)がどんどん深くなってきてますよね。

無界屋襲撃で刀の血をちゅぱって吸うの見ましたみなさん??最高ですね??蘭丸くんが楽しそうで何よりです。

ほんとに楽しそうで、ほんとに悲しそう。

なんなのこの人...すき...

廣瀬さん、どんどん蘭兵衛や蘭丸を生きてきてるな...!とめちゃくちゃ思います。最初の弱いばかりの蘭丸も美しかったんですけど、回を重ねるごとに蘭丸の意思みたいなのが目に見えるようになってきてて、なんかそれに比例してドツボにガンガン蹴り落とされてる自分がいる。

 

 

・天魔王

今回の天魔王は、今までで一番野心に生きた天魔王だったと思います。あと、演じ方でそう思ったのか天魔王本人の在り方がそうだったのかはわからないのですが、今までで一番縛られていない天魔王だったとも感じました。


数日前とは全体的に印象が変わってて(演技が大幅に変わったとは思わなかったんですが)、新鮮だったのは冒頭の安土城のとこです。

この人は信長のこと本当に尊敬してたんだな、と初めて思いました。天に最も近い男としての信長に憧れ、尊敬していて、人としても慕っていたという感情が天魔の鎧に触れる手つきや表情に表れていて。

で、天魔の鎧を被って顔が隠れた瞬間、何かを捨てて区切りをつけたように感じたんですよね。

たぶん捨てたのは、人としての信長への気持ちや、彼なりにあったかもしれない過去の仲間への愛着、そういう当たり前の感情の何もかも。それを失うことを承知で、「天魔王」になることを取った。別れを告げるような、葬送のような場面にも見えました。


あと、愛情への希求とか執着といった部分から、ウェットさがかなり抜けた感じがあって、縛られていない感はたぶんここから来てるんだと思います。澱んでいないというか、澱んでるけど澱みを自分で真っ直ぐ見つめているというか。

殿は最期までお前のことを、というのが、かなり吹っ切れたセリフに聞こえました。確かに天の愛も欲しくてそんな自分を天魔の鎧を得た時に葬ったつもりだったけどできていなかった、だがそれがなんだ?俺は結局全部欲しいし天は俺のものだ!というような、ある意味自分の全部を認めて開き直った語気。この開き直りこそ狂気、と言ってもいいと思うんですけども、不思議とものすごく澄んだ狂気に思えました。

ここで吹っ切れているので蘭丸を殺すのにも一切躊躇わないし庇われても馬鹿な弟だ、みたいな顔をするだけだし、捨之助との対決でも、勝つつもり殺すつもり満々で戦うんですよ。

結果として捨之介に追い詰められたあげく斬るのをためらわれるんですけど、この瞬間の感情の閃きが鮮烈。

ふざけるなよという、まさに烈火のごとき誇りで腹に剣をぶっ刺す。

前回のように、捨之介に絶望を思い知らせる為にではなくて、ただ自らの誇りのために。あの眼にあったのは純粋にそれだけだったと思います。

この天魔王は、過去の執着やなんやに影響されてはいるけど、真っ直ぐ自分を生きてるんですよね。

枝葉的な話ですが、仲間という言葉に随所で眉をしかめていたのも、仲間がいない虚無感や嫉妬というよりは、孤独の中で天に手を伸ばし続けてきた自負に由来するもののような気がします。

ほんと小物のいきがりだと言われればそれまでなんですけど、この苛烈さが好きなんだよなぁ...。


蘭丸にも同種の苛烈さがある(というか出てきた)んだけど、向かう方向が違いますよね。天魔王は自分に関すること、蘭丸は他人に関することを譲らない。

この二人ってお互いにシンパシー感じるところがある反面、それ以外はなにもかも逆なんだなあ。だからおそろコーデで出かけるわりに殺しあうことになるんだよ...!


それにしても、蘭丸が苛烈だとこのお芝居は一層楽しい。天魔王と蘭丸って悪役というカテゴリでは二人きりなので、蘭丸が流されるままみたいなキャラクター付けだと天魔王だけがある意味独りよがりみたいにも見えるんですよね。それはそれで天魔王も蘭丸も別の引き立ち方になって魅力的なんですが、二人ともにそれぞれの苛烈さがあると生き様と生き様のぶつかり合い感が出てより壮絶。壮絶なものが好きです。


初期ほど天魔王と蘭丸に緊密さというものは感じなくなったんですけど、それでもこのペアの関係性って特別だなと思います。



さて、ここからは感想じゃなくて個人的な話も入るのでお好みじゃない方は引き返していただければと思うんですけども。


私はこの一か月、このお芝居の前提にある根本的な希望のなさが好きだったんですよ。光と闇の断絶、捨天蘭の絶対的視界不一致、そういうものが。希望がないまま生きていく、あるいは死んでいく絶望が。

私は個人的に、死ぬまでの期間が人生、みたいな考え方をしている人間です。

身も蓋もない言い方をすれば、死ぬために生きているというか、人生は基本的に辛く苦しいもので、でもどうにかこうにか死ぬその日までは生きてかなきゃいけない、っていう認識。

それがあるので、この作品の単純な真理としての絶望感みたいなものが自分にフィットしてたり、共感できると思ってたとこがあるんですよね。


それをぶち破って来たのが今回です。

そーだね人生辛くて苦しいね十分わかってるよ、でも関係ねぇな!!!!!ここが希望の世界だろうが絶望の世界だろうが、俺は自分の意志で、自分が思うとおりに命を燃やす!という、強烈で強固なスタンス。

今回の公演は、生きていくしかない人間の話じゃなくて、人が自分の意志で生きる話でした。


しかもそれが、当然なんですけど今までの公演とストーリーも登場人物もセリフもおんなじ中での変化で。

変わったのは演じ方、もしくは演者さんの気持ちのあり方だけです。

でもそれによって、こんなに別の方向性になる。それがリアルな意味での人生の隠喩みたいに思えて。人生の状況が昨日と全部同じでも、自分の心の持ちようや意思で、「生きてるしかない人生」から「生きる人生」になるのかもしれないと。

大げさですけど、生きることには意味があって価値もあるんじゃないか、ってふっと思ったんですよね。


ほんと私の勝手な感傷ではあるんですけど、なんか強烈な光か熱か分からないものにあたったみたいな感覚になって、帰り道も目がじんとしてました。


この路線が今後も続くのか、たまたま何かの重なり合いとか私の受け取り方でそうなっただけなのかは分からないですが、この回はものすごく私に刺さる回でした。



一ヶ月前でも完成されてた感があるのにさらにこんなすごいことになってて、これがまだ1ヶ月半あるとか狂気の沙汰ですね!

今後どうなるのか最高に楽しみです!