オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

2018.12観劇分 感想メモまとめ

 

 

 

12/2(日) 光より前に

@ABCホール

 

木村の了さんと中村まことさんを観たくなって行ってきました。セットも演出も派手ではなくてキャストも少なくシンプル、話も突飛じゃない、でも真剣に二時間舞台と向き合える、いい作品でした。ほぼ、というか完全に一対一の会話劇…だよね?なんのごまかしもきかないシビアな形態だけど押し過ぎず引き過ぎずで演技面で気になることがなくて、これが上手いってことなのかなぁと思ったり。

 

宮崎秋人さん、初めて拝見したんですが不思議な方でした。役どころ的なものもあると思うけど、奇妙さや違和感を与えるというか。同じように見える笑顔でも与えるニュアンスはシーンに応じて異なってて、それは役者さんだからと言えばそうなんだけど…いい意味で名状しがたい雰囲気を(おそらく意図的にではなく)出される方で印象的でした。

木村さんはやっぱり綺麗なひとですよね…。あの変わり者扱いされるであろう役柄、合ってたなぁ。すごくよかった。浴衣姿、眼福でございました。首筋のラインがうつくしや。あのシーン、全体の画のメリハリつけるのにも効いてたなと思います。

 

内容については、そうだよ人間はみなそうやって死ぬ、もしくはそうやって生きる、そうだよ そうなってるんだよみたいな感じで、心の中でそうだよボタンを連打していた。人間はみんなひとりなので一人で走っていつか死ぬんだけど、運良くアシストしてくれる人が現れると楽しく走れたりたくさん走れたり一緒に走れたりする。でもアシストマンが現れなかったからといってその人の頑張りや徳が足りないせいではなく、結局ひとが生きたり死んだり身を立てたり滅んだりするのって「たまたま」なんですよね。(たまたまなので死なせてもいいとは言ってないし、努力をたまたま扱いしてるわけでもないのであしからず)

作中で人が壊れて死ぬのは、本人の走ることへの執着と軍国主義的な人権無視のパワハラが要因で、後者が直接原因として主なわけですが、残念ながら今もこの図式はなんも変わってないんだよなぁ。会社や家庭や学校や、色んなところで同じことが起こってたくさんの普通の人が壊れていっている。

そんなら辞めろよ逃げろよって話だけど、走れなければ死ぬしかないんだよ。私も生きる死ぬまではいかないけど、これができないなら自分にはなんの意味もない、と思って周囲の静止に耳を貸さなかったことがある(外的圧力がなくてもこうなる時はなるのだ…)し、よくあるブラック労働的なものでおかしくなって黄色い線の外側にふらつきそうになったこともある。どちらもその後たまたま良い方向に進んだので良かったけど、今冷静に思い返すと自分でその状態から脱したわけではなくて、運が良かっただけ。一生ものの傷が残って人生めちゃくちゃになってた可能性も十分あった。そして同じように、今もどこかで走ろうとして走れなくて朝が来るのに期待して怯えて絶望してる人がきっとたくさんいる。自分以外にも何人かはこの目で見てきた、と思う。そんな人もアシストマンとの出会いさえあれば死ぬところまでは行かないかもしれなくて、なら私はそれになりたいって思うんだけど、なりたくてなろうとしてなれるものではないんですよね。意図的にできるのは、どれだけ頑張ってもせいぜいあの記者みたいに「入院しろ、休め」って言うところまでで。少なくともそれはできるように、またわざと人を死なせたりすることをしないように、とは思っているけど。

そういうことも含めて、生きてるのも死ぬのもたまたまなんだな、とよく思います。そして、死ぬしかないところまで行ってしまった人を否定したくないな、とも。苦悩の果てに死ぬことは幸せなことではないだろうけど、そうなったからって走ろうとしたこと、走ってズタボロになったことまで否定しちゃダメだ。

君原さんはずっと走り続けるわけだけども、メキシコオリンピックのシーンだったか、周りがスクリーンに囲まれて遠近法で表される画面の道みたいな演出になっていて、ああ果てしないな苦しいな、次の電柱までは走ろう、それが走ること、生きることなんだなと思いながら見ていました。

 

だいぶ個人的な話に寄ってしまったけど、シンプルだからこそ伝わってくるものがある作品だったと思います。ひとによって受けるメッセージの角度が違いそうなので、他の人の感想もみてみたい作品ですね。

 

 

 

12/12(水)夜 ミュージカル刀剣乱舞 真剣乱舞祭2018

こちらからどうぞ。

tamaenotamako.hatenablog.com

 

 

 

12/14(金) 魔界転生

梅田芸術劇場メインホール

 

各世代オールスター感謝祭??ってくらい出てくる人出てくる人上手くて、引いても引いても強い札!俺は大富豪!状態。上川隆也さん想像の10倍凄かったし、松平健さんは第一声から明らかにオーラが只者ではなくてレジェンド感がやばかった。浅野ゆう子さんの満を持しての存在感も半端ないし、豪華キャストのオードブル!って感じですね。

上川さんと松平さんのタイマン場面の重厚感(松平さんの殺陣が熟練の手練すぎて白目むいた)、浅野さんと高岡早紀さんの母子のシーンの完成された感、これ生で見ていいの…?ってなりました。映像で凄い人を生で観るとこうなるのか…。観劇体験というより人生経験だ。

若手だと印象強かったのは村井良大さんですね。振る舞いもセリフもピッとしてとても気持ちがよくて、幕間でお名前調べなきゃと思った役者さんだった。

あとやっぱり玉城さん。刀ステで格が違ったので気になってこの作品のチケット取ったんですけど、めちゃくちゃ好き。玉城さんのお芝居は世界だなぁ。どこにも一瞬も隙がなくて、それでいて自然。感情の出し方も自然。なんの作ってる感もなく、そこにそのままいて気付かないうちに自分も同じ地面に立っているような。今回の役はキュートで楽しそうで苦しそうで哀しくて、子どもにかえったような気持ちで見ていました。転生シーンも最後の旧友との戦いもめちゃくちゃよかった。魅力的(charming)という言葉がぴったりの素敵な役者さんだと思いました。ということで北斎とふたり阿国のチケットが手元にあります。

 

中身としては、なんか新春のゴールデンタイムの特番をドラマもバラエティも突っ込んだみたいな感じだった。しっかり舞台演劇だけど、つくりは完全にTVショーですね。ただ塩梅がうまいのか、違和感はない。演出だれがされてるのか調べてないんですけどスーパー感覚…。あとなんだかんだ上川さんがボケたりツッコんだりを挟むのがが上手いんだろうな。

 

総じて年末に景気のいいものを見たな!!という感で満腹です。贅沢をしました。

 

 

 

 

12/22(土) メタルマクベスdisc3

@IHIステージアラウンド東京

  

私情と私怨で刺さりすぎて、まさみ夫人が出てくる度に泣いてしまってた。どうして彼女は男に生まれなかったんだろう。それだけでよかったのに。

 

この夫人は愚かだったから、分不相応なものを欲しがったから破滅したんじゃないんですよ。世の中が彼女のあり方を許さなかったから、それだけ。まっとうで賢くて分別があって物事をわきまえている、愛情深くて強くて弱い女性だった。ごめんねランディ、とこの夫人も言うけれど、謝らなくていい…諦められなかったことを謝る必要は絶対にない…間違っているのは世界の方だ…。

悪女を演じて王を殺そうと誘うシーンも、諦められなかった、ただ諦められなかったんだよなぁ。男ならできたはずのことを、女に生まれたからといって諦められなかった。でも女の身での限界は十分に弁えていて、ランディに代わりに叶えさせようとした。自分と一体の存在であるランディが王になれば叶うと信じていた。これならできる、そのくらい許されるのでは、と思ってしまった。

でもごく普通の感性を持ってるから人を殺したことがものすごくストレートにストレスになるし、そこまでして手に入れたのはヒラヒラのスカートをはいた「王の妻」のラベルでしかなくて。ほしかったものはこれじゃないよね…こんなものがほしかったわけではないんだ。事前にパンツスタイルの脚が5mあるとか二幕のスカート姿がめっちゃ可愛いとかは聞いてたけど、演出上の意図ゴリゴリの衣装だったつらい。

結果的に大事なランディまで壊してしまって、少なくとも彼女は自分のせいで愛する人を地獄に落としたと思ってるんだよ。つらい。

 

そして、そこまで抗って懸命に生きた彼女の末路があれだ。神が定めた王子に、男と生まれに、頭を下げて疲れたような微笑みを残して飛び降りる。敗北。結局女に生まれた時点でどうしようもなかったのだ。

でも私はあれを敗北だとは思いたくないんですよね。わざわざドセンで確固たる意思を持った顔で美しく礼を取ったのは、彼女の誇りであり賢明さであり心の高貴さであり、生得的ではない彼女自身が育んだそれらのものは何にも負けたりしていない。精神の病とも一人で戦って、自分の足でちゃんと飛び降りた。彼女は何にも負けていない。そう思います。

 

夫人はランディのことすごく好きだったよね。自分が喉から手が出るくらい欲しがっているものを当たり前みたいに持っている無邪気な男を愛するのってどんな気持ちなんだろう。この夫婦は二人で一人。お互いがお互いにないものを持っていて、それに惹かれて一緒になった家族だった。

浦井ランディは王を殺したことを後悔してただろうけど、生まれ変わってもまた妻が望めばそうするんだろうな。王位なんてそこまで欲しくもないくせに。夫人を愛していて、二人で一人だからランディは夫人が死んだ後も狂っていくことを厭ったりはしていない。

人殺しが好きだからだ、は、何とでも勝手に言え、お前達には俺たちのことは分かるまい、だし、何のために戦うかと問われれば、大事な妻と一緒に生きていくためにだ。

このランディは、魔女が惑わすものではなく導くものという認識だったから魔女が妻の顔に見えたんだろうな。

二人ともがお互いを愛していたのになんでこうなっちゃったのかな、と思うけど、相手も二人で一人だと思っていることに気づいていなかったのかもしれない。どちらが悪いわけでもなく。もしそれに気づいていれば、違う結末があったのかもしれない。けどきっと何回やり直してもそうはならないんだろうな。気づかないようなお互いだからこそ惹かれたような気がする。

 

ともかく100周回っても新感線からは出てこないのではと思っていた概念を長澤まさみさんが生身で体現していて、完全に不意打ちでズタズタにされた舞台だった。世界は変わっていくんだなぁ。

 

 

 

 

12/30(日)  ポルノグラフィティ 16th LIVE CIRCUIT "UNFADED"

大阪城ホール

 

子どもの頃から十数年来ゆるゆるとポルノファンで、ポルノの曲といっしょに生きてきました。

ライブ参加は数年ぶり、今回で3回目なんですが、初めて見た時は光、2回目は力、今回は肯定、って感じだったなあ。それでいて変わらないメッセージとパワーをくれたことがめちゃくちゃ心強くて泣いてしまった。

 

A New Day

「言うなー!!!」って叫んだ瞬間救われた。日頃降り掛かってまとわりついてきてた色んなものを振り捨てられて、体がふっと軽くなった。最高の年末厄落とし。この曲大好きだ。大丈夫だ、ってめちゃくちゃ励まされる。

Zombies are standing out

映像が超クールだった!色の反転とかズラしとかってこんなにカッコよく使えるんだ…  この曲、新しいような気もするけどめちゃくちゃポルノ調ですよね。ハードで哀しくて希っていて。ここでは誰も眠ってはならぬ。

カメレオン・レンズ

照明最高だった。客席の頭上から真下に細く落とすのも、ステージ前に細い直下光のベールでグラデーションかけるのも。ステージ脇側にいたんですけど、これだけは正面で見たかったな…!What color、っていうのは人間と人間の間にある永遠の命題だと思う。

フラワー

愛でられるためでもなく 色を誇るためでもなく  のところでブワーっと泣いた。他のフレーズもぜんぶ、そこにいるものあるものの肯定だ、と受け取ったんですけど、一方で強烈な孤独をイメージさせる曲ですよね。隣にはいなくても一人じゃない、というところが特に。その孤独が肯定に結びついてるんだと思う。強く強くありたい、たとえひとりでも、という美しさ。

∠RECEIVER

RECEIVERという意味そのままをダイレクトにぶつけられて衝撃的だった。圧倒されて思わず棒立ちになった。重かったし深かったしすごい圧力だった。責任、に近いのかもしれない、この曲は。

ライラ

歩き疲れたら帰っておいで、懐かしい歌など歌いましょう、と言われると泣く。帰っておいででおいでってされるのでより一層泣く。安堵で泣いてしまう。曲調も歌詞もなにもかも天才的すぎてひっくり返る曲。

 

客席の雰囲気もよかったです。あったかかった。ポルノの曲って肯定で祝福で哀しさが漂っている、みたいなのが特徴だと思ってるんですけど、それが出てる素敵なセットリストだと思いました。置き去りにされた人がふっと微笑んだ口元みたいな、遠くを見ていた目線の残り香みたいな、セピアでグレーな哀しさが好きです。

 

 

お前たちこんなに最高なんだから胸張って行け、って毎度言ってくださるじゃないですか。今回、あれにものすごく安心した。

わたし生きてていーんだなって思ったんですよ。そんなに気を張らなくても、もっと肩の力抜いて楽に生きていいんだなと。

ずっとピリピリして綱の上を一人で渡り続けるような気持ちで生きてて、でも傍からバンバンとかゴンゴンとか音がして、えっ何?と思ったら床を叩く音なんですよ。綱の下は虚空で、床なんてあると思ってなかったのに。綱から降りろとも落ちても大丈夫だとも言わない、ただここ床だぞ、って音を出してくれる、私にとってポルノグラフィティとその曲ってそんな存在だなぁ、と帰り道に思いました。

二十周年おめでとうございます。

 

初めて聴いたときから今までずっと、これからも、ポルノとその曲を信頼しています。