オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

されどさだめの夜は明け(ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.3 ‐ホワイトチャペルの亡霊‐ モリミュ 感想)

8/8 (土) ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.3 ‐ホワイトチャペルの亡霊‐
夜公演スイッチング配信

 

 

概観

今回もとっても満足です!!!開始三分で「これ過去最高では?」感があったのですが間違いではなかった。確実に過去最高です。歌もさらにレベルアップし、演技も過去一スッと入ってきて、とても自然に作品の世界がそこにありました。
技巧と再構成のOp.2に対し、今作は分かりやすくストレート、シンプルで綿密といったところが特徴でしょうか。楽曲はミュージカルっぽさに加え、今回はポップス系統の雰囲気も感じました。なじみよいテイストだったと思います。
そして構成の流れるような美しさと緻密さ、解釈の繊細さは健在。あんまり見事なので毎回新鮮にびっくりします。
内容的にはwill & hope 概念の展開、モリアーティプランの進行、それらに立ち込める忌まわしき暗雲の示唆といったところ。Op.2からの流れが美しく、Op.4への完璧な導入と言えるOp.3だったと思います。


順番にいろいろ

・序盤の世界観説明とスタンス説明、分かりやすく自然な流れで天才。あまりにも美しい構成。最後まで観ると、最初に必要なことや概要が説明されていることが分かるんですよね。最序盤で今作のシャーロックの特徴ともいえる感情の揺れ動きについてちゃんと示しているのも親切。

ジャック・ザ・リッパー♪のキャッチーなリズムいいですよね。リフレインもあって凄く耳に残ります。

・身を守るすべを、の曲の、ウィリアムの割れたガラスのような鋭さと苛烈さ、悲しくて大人でしかなくて泣いてしまいました。子供が大人であることはいつも悲しい。青い炎というモチーフは後半まで一貫して出てきますね。

・弱き者の魂を救うのは神ではない、その通りだけれども、じゃあ弱き者のために悪魔になった人間は誰が救うのだろうなと思ってしまいます。

・ホワイトチャペル事件の説明曲、シュールでコミカルで同時にぞっとする気味悪さもあり、すごく好きなテイストです。

・ハドソンさんの名前出てくるの嬉しい〜!!!ハドソンさんLOVE!!

・謎が謎にの曲、リズム的には今作一好きかもしれないです。あと謎が謎に謎と、って助詞が並べ立てられるのが個人的にすごい好みです(助詞にこだわりがち人間なので)。この曲でも存分に堪能できますが、今回のシャーロックは細い糸を辿るように感情の機微が精緻。

・VS自警団&ヤードのところの曲、話の流れに乗ったテンポが心地いいです。演劇にすると分かりづらいかなと思ってたホワイトチャペルの攻防がすっと入ってきました。

アルバートが弟を案じる追加シーン。アルバートはウィリアムの孤独に手を伸ばせないことをよくわかってるんだなぁ。だから「ただ傍にいよう」と言うんですね。ウィリアムもそんな兄の気持ちを凄く嬉しく思ってるのが見て取れる、切なくて温かいシーンです。

・孤独の部屋・・・ウウ・・・きりたつ崖のような孤独を表現できる勝吾さん。そしてそこに吹く風を想う表情よ。ついいつまでも原っぱで遊んでいてほしくなってしまいます。でもそうではないんだよね、という話は後述します。

・一幕ラストの曲、一幕まとめ&二幕予告としてのとりまとめが上手すぎました。どうやったらこういうの作れるんでしょう。

・追加シーン(医師の家)のジョンの歌好きです〜;;すごくジョンらしくて、胸にせまります。光のジョン。

・「行くぞジョン」のバリエーション広がりましたねえ。お互いの信頼感が見えるようになって、公演(物語)を経るごとの変化が楽しみなセリフです。

・心のロンドはモリミュの概念濃縮って感じの曲でしたね。I will / l hope の言い換えと言ってもいいような気がします。

・ヤード潜入時の秘密の城ソング、これもポップでテンポよし!シャーロックが鍵開け得意すぎて笑ってしまうし、ひたすらボンドにときめきます。

・レストレード大活躍からの、シャーロックの「ワーオ!ハハハ!」がとても好きです。めっちゃ平野シャーロックぽいですよね。

・アータートン裁判のところも追加説明として優秀でした。流れ的にこれがあるのですごいわかりやすいし、アータートンやジョンの人物描写ができるので。

・冤罪事件編のラスト曲は、各人物の心情が描かれた現時点の総まとめですね。次回への布石も含まれていたり。「君たちが大切だから僕はひとり」、この考え方ものすごくウィリアムでアアアアーーーとなります。

・大学編、嵐の前の雲の切れ間のような穏やかな時間。思索は自由、とウィリアムがビルに言っていたけど、ウィリアムも数学のことを考えている時だけは何ものからも自由だったのかもしれないと思います。バックに映る青空は、ウィリアムとシャーロックが英国の人々みなの上に広がるべきと思っているものなんだろうな。ビルの個別のケースというよりも、「理想の世界」の具体例のような話でした。

・シャーロックが「罪を犯している以上責任を取らせる」と決意したのを聞いて、ウィリアムはほっとしただろうなあ。もちろんシャーロックの性格からしてそう言うことは分かってただろうけども。向かい合って笑いあっているところはまさしく気の合う友人同士で、この後それを引き裂かんばかりにやってくる嵐に思いを馳せずにはいられませんでした。

・ラストのI will / I hope 2、この曲がOp.3で一番好きです。定めの死を歌うウィリアムの横顔の美しさよ。これがゴルゴダの丘を望むメシアの顔か。ウィリアムとシャーロックの個人感情、プランの進行、待ち受ける嵐というすべての要素が詰まったOp.3の最後に相応しい曲でした。


登場人物別

ウィリアム
勝吾さんのウィリアムは本当に繊細だな、と思います。今作での感情の機微を見ていて特にそう思いました。繊細で心細やかで、理想家にしては優しすぎて。最後、「シャーロック」と名を呼んだときに彼はどんな顔をしていたのだろうな。次作・・・次作・・・めちゃめちゃ観たいけどつらいのでみたくない・・・いややっぱり観たい。どうしても勝吾さんのウィリアムで観たいです。

ルイス
また歌声に響きが加わりましたね!?すごい。包み広がるような歌声。兄さんと「仕事」できるの嬉しいんだろうなあ~と思いながら制裁シーンを見ていました。何も言ってないのに兄さんが大好きなのがわかるのかわいいね。

アルバート
弟を案じるシーン、長兄らしくて良い~~~!!!終わりには死しかないと言いながら、案じて愛しているアンバランスさがこの人の魅力だなと思います。人間は年齢でどうこうではないとはいえ、彼が心を決めてウィリアムたちの手を取ったのは子供の頃なんですもんね。今もその志は固いだろうけども、一方でなんの変哲もない普通の家族であれば、もしそうしていたら弟たちは違う幸せを掴めたのではないか、と思ったこともきっとあったでしょう。そういう大人になってからしたであろう葛藤や、時間とともに密に織り込まれてきた愛情が垣間見える良いシーンでした。

モラン
今回貴重ないじられキャラで、シリアスな作品にほっとする瞬間をもたらす存在でした。なんか家族団らんのテンポですよね、彼がからかわれてるところって。彼らにもこんな風になごやかな時間があったのだな、と思うとなんだか泣きそうになります。

フレッド
フレッドも人物像がはっきり見えてきた感じですよね。なんせ原作リスペクト(?)であの役割を担うことになるわけなので、現時点で主義主張がしっかり見える人物になっていて嬉しいです。

ボンド
もうすっっっっごくかっこいい。毎瞬かっこいい。屋上からキャー好きーーー!!!って叫びたい。キメの画がぜんぶ見事にサマになるのすごすぎる。アイリーンも好きでしたが、ボンドへの好きもさらにノンストップです。

ジャック氏
やっぱり人間が演じるというのはいいですね。キャラクターがものすごく立体的に見えました。こういうおちゃめ渋い役が入るとまた違った賑やかさが出るものだなと思います。バトラー姿ナイスガイ!!

シャーロック
今回は針が左右にふれるような様子のお芝居が多く、その振れ加減と表現がすごく好きでした。その揺れ続けていた何かが終盤の大学編でウィリアムと話をしてカチっと位置を決める、という感情表現の鮮やかなこと、唸ります。平野版シャーロックは常に最高打点。

ジョン
この善良で純粋で正義を見誤らないジョンがすごく好きです。
人物描写追加で深堀りされてたのナイスでした。次回ジョンがメインに出てくることもあり、描写追加したのいい布石だなーと思います。

レストレード警部
めっちゃ!!!よかった!!!好き!!!お人形芝居のシュールコミカルさに始まり立場上の苦悩、それでも頑として正しいことを譲らない姿勢、ガチのかっこよさMVPでした。初作から警部好きなのでがっつりした見せ場があるの嬉しかったです。

パターソン
原作の(私の中の)イメージとは微妙に違うけど、それはそれとしてキャラがしっかりしててイイネ連打しながら観ていました。なんというか、私の脳内パターソンよりよりもこのパターソンのほうが今回の立ち回りにぴったりのキャラだったと思います。こういうのがあるから原作ものは面白いんですよね。

アータートン
今作、個人的に妙に共感というかシンパシーを感じたのがこのアータートンでした。彼の言う正義は正義ではないけど、それを自分なりの正義と思ってしまうのはすごく分かる気がします。きっと私も彼と同じことをやりかねないな、と思わせる人物像でした。

ミルヴァートン
こんなにいかにも邪悪な悪役、ほかにいます??ってくらいの真性悪役。この人は誰にもどうしようもできないと思わせられるほど、悪であるがゆえの強者感が風格となって漂ってます。ラストの曲でウィリアムとシャーロックの上段にミルヴァートンが立っているところの暗雲感、最高でした。このミルヴァートンがいるから次作がますます楽しみになってしまう。今後の展開を考えると張り倒したくなるけども!!ああーーーカーテン*1!!!

 

そしてピアノ&バイオリンありがとうございました!!今回も最高でした!!ぜひずっとモリミュと一緒にいてください!!


ウィリアムの「大人らしさ」

今作のウィリアムは序盤から大人の男性っぽさが際立つなと思っていたのですが、孤独の部屋で「風」*2を求め焦がれる彼は夢を夢みる子供のような顔をしていて。おそらくその賢さゆえに幼少のころから大人でしかいられなかったウィリアムは、本来なら子供である頃に埋められるべき何かが欠落したままなのかもしれません。
それがあり前作では彼が子供のようにいられるようにと願いつつ観てしまっていたところがあるのですが、今作では終始、ウィリアムは大人でしかいられなかったというよりも、自分で大人であることを選んでいたんだな、というのがわかる佇まいでした。
ウィリアムにとっては、死の影の谷を歩み続けるのが生きることなのかもしれません。目的地がゴルゴダの丘だったとしても。
ならばせめてその道行きに良い風が吹き、慰めになるようにと思ってしまいます。(まあ実際はそよ風なんかじゃなく暴風になってひったたいて捕まえてこい!!!とは思ってますけども)

 

正しさの話

今作特に思ったのが、この作品で描かれているのは19世紀の大英帝国でもあり、現在の日本でもあるということです。加速する格差社会、貧困、弱者を操り食い物にする人たち。言ってみれば、「ジャックザリッパー」たちもアータートンもミルヴァートンも、私たちの目の前にいるわけです。実際、スコットランドヤードの冤罪騒動なんて似たようなことがその辺にごろごろしているのだと思います。その世界に生きる中で真実を見抜き、正しさを見失わずにいられるのか。この作品ではその問いが投げかけられ続けているのだなと強く感じます。

 

色々書いたんですが全然書ききれてないので、またアーカイブ千穐楽配信見て追記するかもしれません。

 

 


余談


私事ですが、今回現地に観劇に行けないのが、劇場の座席に座れないのが臍を引きちぎる勢いで悔しいです。作品が良かったからなおさらに悔しい。といっても自分で決めたことなのだからあれなんですけども。ともかく、劇場に行くことにした人は最高に楽しんでもらいたいし、私と同じように行かないことを選んだ人は一緒に歯が擦り切れるほど臍を嚙みましょう。
そして様々な、甚大なリスクと恐怖を抱えながらこの公演を私たちに届けてくださった方々に感謝します。演者やスタッフにリスクがないとはとても言える状況ではなく、それを鑑みれば公演をすることの是非は私には結論が出せません。それでも少なくとも、上演された作品で心を彩られた人間がここにいる、それだけは事実です。素晴らしい作品を届けてくださった皆さんに感謝します。

 

 

 

 

千穐楽配信によせて追記

千穐楽、東京の配信と全然違うものが出てきたので初見並みにアバババとなりながら観ていました。
私はこのバージョン、とても好きです。愛情深い回だったと思います。色々と厳しいであろう状況の中で、二日間配信をしてくださったことに心から感謝します。

 

パート毎にいろいろ

・謎が謎に謎と
シャーロックがあんまりにも寂しそうに見えたのでびっくりしました。魂の片割れを求めて、空白に身を縮ませている子供のような風体でした。シャーロックにとって、今や求めてやまない謎と「犯罪卿」(あるいはウィリアム)は同一のものになりかかっているのかもしれません。次々と興味ある謎を追いかけ続けていた頃とは違い、一つのもの(人)を求めるようになると、それは常に砂漠で水を求めるような渇望と表裏一体になるものなのだなあ。謎を求める風来坊のようなシャーロックがその姿を示すことの意味の大きさを噛みしめています。

ゴルゴダへの道を
感情の振れ幅が強く表現されていたアルバート。その姿は、神に懺悔する人のようにも見えました。ウィリアムを救世主と例えるなら、アルバートはその肩に荷を負わせている人間の一人でもあるんですよね。彼はせめて共にその荷を負って丘を歩みたいと望んでいるけれど、きっとそれはほんとうには叶わないことなんでしょう。そのことを分かっていても望んでしまうのが、積み重ねられた情の深さだよなあと思います。

・孤独の部屋
ウィリアムが終始運命の定まった者の顔をしていることに、心臓を引き絞られました。やがて辿り着く磔刑の場所だけを見ているような目でした。このウィリアムの言う「許されるだろう」というのは、ほぼ仮定法の願望だなあと思います。
悪は許されるべきではないという彼の確固たる信念は例外なく自身を断罪していて、その刃で彼の身は傷だらけ。そして息絶えるいまわの際に風が吹いたら、それを慰めとするくらいは、と罪人が願っているようにも見えました。
これを見せられては、死を一種の救いだと感じてしまうのも分かるなと思ってしまいます。彼の中で救いに分類されているのが死と風というのはなんとも・・・これまでの傷の深さはいかほどか。

・心のロンド
感情表現の抑制が効いていて、かえって胸をつく曲になっていました。マリオネットの振りつけに表されている通り、今のところ彼らの立場は操るものと操られるものなんですよね(ウィリアムはタクトを振るマエストロにも見えましたが)。
特に今作ではシャーロック側の、分かっていながらも操られざるを得ないことへの葛藤や悔しさ、迷いが強く押し出されており、二人の立場のとりまとめ表現としても優秀だったと思います。
でもその人形は人形ではなく、生きているので。繰り手の思いもつかないような正の力と生きるエネルギーに満ちているので!!!!最後の土壇場で劇の枠をよじ登って繰り手をひっつかまえに来るのでよろしくお願いします!!!!と言いたくなるのは私だけではないはず。

・それぞれの心を抱いて
各人物の交錯する思いがあますことなく表現されている曲でした。ひたすらに頑なにさだめの時を思うウィリアムと彼を想う仲間たち、その不穏ともいえるすれ違いと、同一の、しかし交わらない思いを抱えているウィリアムとシャーロック。現時点の心情まとめを見事に楽曲で提供されてしまって脱帽です。

・大学編
最終局面に向けて加速するモリアーティ・プランの中、ウィリアムにとって、最後の幸福のひとときともいえる場面です。シャーロックと二人で向かい合って笑いあっている姿は無二の親友のようでもあり、魂をわけた双子のきょうだいのようでもあり。こんな風にずっと暮らしていけたら、生きていけたらという思いが彼の心をよぎることはあったのでしょうか(なかったかもなあ、あの定めの日に一点注視している目を見る限り)。
二人でビルの未来を導いたことは、世界(国)を変えるという本作のテーマにおいて象徴的な出来事でもありましたね。ビルのように未来を切り拓いた人の集合体が、理想とする「美しい」国になるのだと思うので。

・I will & I hope 2
シャーロックはウィリアムの光なんだな、と強く感じた曲でした。この曲を聴いていて思ったんですが、光って眩しく明るいだけでなく、温かいものでもあるんですよね。孤独に凍えた身体にその温かさを抱えて、ウィリアムは死に向かっているんだなあ。それでも歩みを止めない意志と理想の強さよ。
一方のシャーロックの「犯罪卿がリアムなら」ということの中身についても考えさせられました。最初は「自分と同じレベルの頭脳を持つウィリアムが犯罪卿ならサイコーに面白いじゃん!」というくらいだったと思うのですが、だんだんとウィリアムへの個人的な思い入れが強くなるにつれ、彼が犯罪卿なら至高の勝負になるに違いないしそれを他の人間には絶対に渡さない、というような気持ちが出てきているように思います。それにもしウィリアムが(義賊的にであれ)人を殺め続けているのであれば、それは止めなければならないし止められるのは自分しかいない、止める人間も自分でありたい、という思いもあるのではないかな。シャーロックにとってウィリアムは唯一の人ですから。


勝吾さんのウィリアム 

また歌が上手くなった、優しい理想家。
勝吾さんはウィリアムのことが本当に好きなんだな、と思えた大千穐楽でした。どこをとっても、ウィリアムというキャラクターに魂を分け与えているのが伝わってくるように感じました。人に、あるいはキャラクターに情をかけるというのは負担の大きいことだと思います。他人事にしておけば、何にも傷つかず苦しまずに済むわけなので。
でも勝吾さんのお芝居は、いつもそういう負担含みで人物(キャラクター)を素直に受け止めているように見えます。人間らしい情の深いお芝居だなあと思いますし、この人の目を通して見る世界はどんなものなのだろうな、と毎度羨ましさのようなものを感じます。

平野さんのシャーロック

子供らしさも大人らしさも喜も哀も変幻自在、トリッキーでまっすぐな唯一無二のシャーロック。ひねたところもあるけど、正しいことを正しいと捉えられる情熱家。
基本的には子供っぽいとこが目立つのですが、今作のビルのパートで顕著なように、肝心なところはきちんと「大人」が板についているんですよね。大人がなにゆえに大人であるのかを知っている人の言動だなあと思います。
全体的な印象として、原作のイメージそのままというより平野さんの色が強く出ているのだろうと思いますが、そのお芝居が表しているところは原作のシャーロックと常に同じです。千穐楽は特に、このシャーロックにこそ、ウィリアムを捉まえてほしいなと思える公演でした。

全体を通して

演技が作品の構成をさらに引き立てているような、愛情深く美しく繊細な千穐楽でした。
今は次作をひたすら楽しみにしている段階ですが、このシリーズもいつか完結して彼らとの別れの日が来ると思うと寂しくて寂しくて泣いてしまいそうになります。
記録媒体には残るにせよ、演劇の常として彼らはその時にしか存在せず、幕が下りれば観た者の記憶の底に沈んでいってしまいます。それはつまり永遠に失われないということでもあるけれども、やはり寂しさはどうしようもないもので。その寂しさも込みで、この作品が大好きだなあと思います。

厳しい情勢下のなか、自分は十分応援できているのだろうかと歯ぎしりすることもあるけれども。とりあえず今自分にできることとして、愛情表現としてこの文章を置いておきます。
あと壺はたくさん買います。

 



*1:アガサ・クリスティーポアロもの最終作「カーテン」のことです(盛大なネタバレをしてしまっている気がする・・・これから読む方がもしいたらすみません)。幼き日の私はノーガードであれを読んで何を是とすればよいのか混乱の極みに突き落とされ、以降一度も読めていません。こういう問題(?)って結構探偵ものには付き物な気がしており、その辺ホームズを宿敵と一緒に谷に突き落としたドイル先生はうまいな・・・と思うなどしていたのですが、そろそろもう一度向き合うべきかもしれない。ちなみに私はポアロも好きですがどちらかといえばミス・マープル派です。

*2:ちなみに「風」というモチーフは、原作で爆破終わって出てきたところらへんでふっと風を感じて何かもの思うようなカットが一瞬あり、そこから解釈を広げたものかなと思います。