オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

舞台どろろ 感想 やむなく生まれたひとの先

3/2(土) ソワレほか 舞台どろろ

とりあえず大阪公演分。ネタバレ含みますので注意!

 

 

「母なるもの」「父なるもの」の話であり、それらふたつからやむなく生まれるひとがどう生きるかの話だった。やむなく、というのは自分で選べない、という意味で。生まれるかどうかを、あるいはどう生まれるかを、ひとは選択できないんですよね 。自分の意思とは関係なく生まれて、自分の意思で選択して生きなければならない。ならばどうする?という話。そして最後に、この作品としてのアンサーが示される。

私は「いい作品」かどうかを、テーマ(軸)があるかというほぼそれ一点で判断してしまうんですが、良い作品でした。たしかにこれは良い作品だ。

そしてそれが伝わってくるのは役者陣がテーマとそれに対する西田さんの思いを丁寧に真摯に体現しているからというのが大きくて、役者さん皆さんほんとに素晴らしかったです。みんなで同じ方を向いて作っている作品なんだなと感じました。

 

公式的には親子の話とのことですが、「親」と「子」の話、といったほうが個人的にはしっくりくるかもしれない(「親子」は「親」と「子」でしかありえないと私が思っているせいか)。

母なるもの父なるものっていうのは家父長制みたいな役割イメージで漠然と言ってるんですが、前者がミクロ的に子を愛し育て慈しむもの、後者は子以上に「家(国)」を守る責任を負うもの、というくらいで捉えていただければ。
母なるものとしてはやはり縫いの方がメインですが、どろろの母、三郎太の母、助六の母と、かなり「母」が重点的に描かれてました。

面白いのが、寿海が男性ながら明確に「母なるもの」として示されていること。この作品、百鬼丸が寿海のもとに「生まれなおした」という捉え方をしているんですよね。
寿ぐような笑顔の女性ダンサーが川を表現して生後間もない百鬼丸を運び、寿海のところに流れ着くというのはそういう意味なんだろうなと。寿海から百鬼丸への行動や発言は属性・役割として「母」であり、百鬼丸が寿海を「ははうえ」と呼んだのは、それをそのまま言った、ということなんだろうと思います(流れ上は言葉知らずだからですが)。また、生まれ直したあとに出会った人間も自らがそう呼べば母になり得るのだ、生まれでなにもかも決まるわけではない、という主題に沿ったメッセージのひとつでもある。 

そして、父なるものは醍醐景光であり、多宝丸です。多宝丸が自分で悩んで自分で決めて子から父なるものに変わっていくのは見どころのひとつ。こういうのやると子が濁って父になるみたいな感じに見えそうなものですが、有澤さんは全然濁らせなかったな。父なるものであることを決めても、子であるがゆえの真っ直ぐさを失くさないところがとてもよかった。この作品が重くともいやな後味を残さないのは、有澤多宝丸の色も大きいのかなと思いました。

ちなみにこの文脈でいくと、琵琶丸がほぼ唯一、母でも父でも子でもない属性になってるのも面白いです。だからこその語り部

 

と、初見ではそういう大枠の概念っぽいことに目がいったのですが、もっと構えずに捉えると家族の話なんだろうな。そういうタイプの作品ではないだろという先入観があったので横に置いておいたのですが、OPで景光と縫いの方が寿海に向かって百鬼丸の背中を押す描写が入っているあたり、単に父と母と子というわけではなくて、あー家族なんだなーと。父母が自分たちができないことを寿海(光のある方向)に託すような表現になっていて、普遍的な父母じゃん…と思いました。多宝丸との関係性とかあり方も、状況がこんなに特殊でなければ普通のいい家族だったんだろうなと思わされるのが切ない。

またそれが生来の家族として描かれた上で、百鬼丸が自分でつくるかもしれないこれからの家族のことも暗示されてるんですよね。琵琶丸のセリフでご丁寧に示唆されている通り。百鬼丸からどろろへの「きれいだ」という一言、すごかったな…。あれを聞いた時、理屈抜きで「光だ」と思った。眩しくて目を細めてしまいそうで、でも見ていたくて、触れようとすると熱いのではと思って、でもそろそろ手を近づけてしまうような光。やむなく生まれる人が、ぐちゃぐちゃの闇の中でそれでも生きようとする先に何があるのか。この作品の答えは「光」であり、「家族」もそのひとつなんだろうと思います。

その前フリでもある、どろろが季節って綺麗だよって話をしてるくだりもよかったなあ。百鬼丸が少しの間目を覚まして、恐らく夢現でそれを聞いてまたまどろむところ。いとしくてせつない。

 

 

そしてなんといってもこの舞台、役者さんがめちゃくちゃいいんですよね!!上手い下手ではなくて、感情の乗り方がしっくり来るというか、役が染み入った芝居というか、心底の真摯さというか。穏やかで真面目で真剣で熱くて、緩やかにひとつにまとまってる座組だなという印象。

どうしてもこれを一番に言いたいんですが、唐橋さんめっっっっちゃかっこいいですね!!!!!!後半の殺陣のシーンで完全に好きになってしまった…。殺陣、ダイナミックで超かっこよくて見蕩れて釘付けになるんですけど、なによりその後正面向いて静止したときの姿で醍醐景光の若い頃とかどんな風にこの地位まで来たのかとかそういう人物像がブワーーーっと見えてしまってアッ最高…あまりにも最高…ありがとう世界…ってなりました。動きだけを言えば立ってるだけだよ…?語らずに描ける人が好きすぎて宇宙に祈りを捧げてしまう。そして最後の百鬼丸とのシーンな…絶対に「父なるもの」からブレないのに、確実に子への思いがあると思わせるあのお芝居最高です。めちゃくちゃ見応えある。前にチラ見した別作品のゲネ映像でいいなと思って拝見するの楽しみにしてた役者さんだったんですけど、素晴らしかったです。好きな役者がまた増えてしまった。

あと琵琶丸の赤塚さん、殺陣かっこよすぎて手練れすぎて大興奮した。後半でここぞってときに殺陣入ってウワ~~最高!!と思いました。

せしるさんは良い声で感動しました。すごく通るし綺麗だし、この役にぴったりで素敵だった。きれいなお芝居される方ですよね。ご尊顔あまりに美しいし、一幕終わりからの儀式衣装は特にすばらしすぎて必見です。その衣装で踊らせた演出ありがとう!!

健人さんはこういう役似合うねー!そして悲伝でもびっくりしたけど、虚伝のときとほんと全然違う…。殺陣もまた一段と迫力が出てきれいで、槍殺陣も初めてには見えないスムーズさ。声がいいのもあるけど、一言言ったり舞台に出てくるだけで注意をひかれるというか、どんどん存在感がでてくる方だなと思いました。今後も注目の役者さんだ。

有澤さんはアフト聞いた感じではそのまんまで多宝丸になってるんだなという感じで、これがまたよい多宝丸でした。上でも触れましたが、陰っても濁らない素直なところが好き。鈴木さんとの立ち回りも迫力満点で、背が高くて見栄えがするしきっと華やかな役者になられるんだろうなと思わせられる方だった。

 

そして鈴木さん。百鬼丸、一幕ほぼ(一切?)セリフは話さないんですよ、声まだ取り返してないから。でも喋ってないのに、喋ってないことに気づかなかったんですよね!(?)  一幕終わって、あれっ喋ってないね?!でもまるで喋ってたかのような情報量!なにも薄くない!十分以上の存在感!オーラ!重み!みたいな衝撃でズガーンとなって休憩で立つの出遅れた。
そして目が戻ってないから瞬きしたらおかしいっちゃおかしいよな…と思ってたら目が戻るまで本気で瞬きしてなくてビビりました。いやどこかではしてるんでしょうけど、してないように見せるのが趣旨なので、あれは「してない」で正しい。 (追記:大阪楽で一度まばたき見たんですけど、アニメの顔の皮が戻った時のあの動きだったのでヒェッてなりました)
そして目が戻るまで、常に必ず視点が合ってない。だって見えてないから。ということに目が戻って視線が動くようになってから気づいた。「見えてない」や「聞こえてない」の表現を当たり前に提示して、状態に疑義を生じさせないのすごいな…(見えなくも聞こえなくもなったことのないわたしの感覚でです)。
あと言及なかったけど、ずっと痛覚ない…よね?斬られたときの反応が、物理的に衝撃を受けた、とか物理的に体が動きにくくなった、とかでうわわ…となりました。痛いと感じたらあの動きはしない…よね…(ただアニメで痛覚戻ってからも脚食われるまで似たような動きしてる気はしたので、痛覚の意味が分からない、という状態かもしれない)。
本当に「ない」ことも情報だよな…とつくづく思わされる演技でした。観る側が何もしなくても当たり前に分からせられる、これ!これだよ…!楽しい!!!思わず鈴木さん引っ張ってこれた企画陣大勝利じゃん…と思いました。客(依頼者)にガッツポーズさせるのは優れた職業人だというわたしの哲学が踊り出してしまう。

殺陣は腕自体に武器という状態なので、間合いも動作も武器を「持っている」時とは全然違って。あれ体ごと戦っているようなものですよね。そして殺陣の間も人形めいた動きや見えていない表現(後半だと獣のような荒々しさ)は一切崩れず。すごいのほかに何も言えない。終盤の対多宝丸は刀持って本領発揮ということもあって特に圧巻の迫力。見せ場として作られた場面が抜群に見せ場だった。えっまた(昨夏比)目に見えて凄くなった!?そんなことある??って横面バチーンされたような衝撃でした。

どんな殺陣かって演じる人物によって違ってくるけど、今回どんなんだったかと言われると、ぱっと思いついたのは『白』でしたね。百鬼丸は体も家族も持っている上に奪う側を選んだ多宝丸を憎んだり恨んだりしたのかなとも思ったけど、私の目には、百鬼丸はそういう概念とは無縁に自分の体を取り戻したがっているだけのように見えた。執心を感じさせる語気にも関わらず、「返せ」という言葉が単純に澄んで聞こえたので。自分の体を取り戻したいと思うことは、お腹がすいたら何か食べたくなるのと同じように自然なことなんですよね。

寿海が「体を取り戻す道行には人々の死体が転がることになる、それは本当に人に近づくことなのか、体が人間になっても化け物になりはしないか」と問うけど、本当にそうなのか?取り戻して人間になることと、国やほかの人が苦しむことはたまたま表裏一体になっているけど本来は因果関係のない別の事柄だし、さらに言えば、結果として人をたくさん殺めることと、化け物になることは本当にイコールなのか。ならば本当に人を鬼にするのは何だ?人とは何だ?そんなことが頭に浮かぶような、あらゆる既成概念から離れたところにある『白』だった。

そして最後の醍醐景光とのシーン、 なぜ殺さないと問われて「生きろ」ですよ… 。私はこの作品の主題は「ひとは生まれるかどうか、どう生まれるかを選べず、しかしどう生きるかは自分で選ばなければならない。さあどうする」だと思ってるんですけど、それに対する完全なアンサーなんですよ、「生きろ」は。 
言葉上は景光にかけた言葉でも、あれは「自分は自分の意志で生きる」っていう結論、決意表明だ。やむなく生まれて、自らの意志で生きる。鬼になろうが人になろうが、そういうこととは別枠の、ただ一つ確かなこと。百鬼丸のそのあり方がめちゃくちゃ刺さった…。 あまりにも真っすぐに肋骨と肋骨の間、肺と肺の間に深々刺さって自分でも戸惑うくらいぶわっときてしまった。鈴木さんのお芝居観てるとこういうことがあるからやめられない。

ちなみに、たぶん「どう生きるかを選べなかった」のが三郎太なんですよね。あの死は生き方として選んだ死ではなく、選べなかった結果としての死だ。怯えて迷って恨んで悔いて、どうすべきかどうしたいのかも分からなくなって死んでいく。セリフでも百鬼丸に、なんでお前は逃げないんだ、って言っていたけど、あれはつまりなんでお前は選べるんだ、生きられるんだ、という意味だったんだろうと思います。

そういうことをつらつら考えてしまうほど、セリフの文字列ではないところで人形から人間に近づいていく推移や取り戻すことの意味、鬼とは人とは、といったテーマ要素を当たり前のように表されていたのでやっぱり舌を巻きました。

そしてやっぱり鈴木さんはこの役でもきれいだったな…。あの独特のオーラを表すのにきれいという言葉で適切か自信がないけど。鈴木さん、ひとつの「あり方」を示すだけで答えらしいものを出さないんですよね。普通、なにかテーマがあったら自分はこう思う!こうなんだ!っていうのが(どれだけフラットに他の可能性を認めていても)どうしても出るじゃないですか。その気配が根源からなくて、あらゆる面で中庸で、(相対と逆の概念として)絶対的。これが「きれいさ」の正体の一部のような気もする。

 

 

 

あと演出で印象に残ったとこをちょろっと。時間経過表現で音楽だけで進むとこ、アンサンブルさんがモミジとかを握った手からぱっと散らすの、あれよかったなぁ。きれいだった。鬼神との戦闘シーンも最初ちょっと分かりづらいかなとも思ったけど、鮮やかで良かったです。殺陣だけの表現より華やかで見飽きないし、躍動感があって。

しかし三郎太が鬼神に自分を喰わせるくだりでの赤いリボン状の布の演出、首絶対締まらないようになってる?大丈夫??大丈夫な仕組みならいいけど気が気ではなかった。綺麗で好きな演出なんだけど、気になって集中できなかったのでもっとだいじょうぶに見えるようにして…というのは余計な心配なんだろうか。

あと話逸れるけど例の移動式セット、何回も固定ちゃんとできてなくてぐらついてたのでもっと頑張って!!と思いましたね。何より危ないし、没入感が途切れるのは致命的。そして音響さんは一体どうしたんだ、音楽のボリュームおかしいわタイミング外すわ間違えるわだったので、巻きで頑張って欲しい。

とりあえずこのくらいかな。またCS放送&三重公演見たらなにか追記するかもしれないです。

 

 

 

 

 

以下は趣味が合わねぇ〜!という超私的なボヤキなので適宜スルーしてください。脚本演出のファンの方はスルー推奨かもしれない…。

 

 

 

 

 

 

一言でいうと、西田さんとは好みが合わない!!以下あくまで私の趣味嗜好の話で、良い悪いの話ではまったくないんですが。

(私の好みより)詰め込むし詰め込むし変えても良さそうなとこそのままやってハァ?ってなるしワンカットが短すぎるし場転過多だし場面の連続性ないし(映像作品じゃないんだからさ…)、なにより音楽の使い方の趣味が極めつけに合わない 。
ここでこれかけるんかい!とかまたこの曲!?とか、こここんな曲かけるシーンか?とかだいぶ思ったもんな。音響さんがいまいちなのもあるけど、それをでかい音で流されるので基本うるせぇ!!ってなる。あと日本語歌詞入りの歌流すとかリスキーなことするならちゃんと効果的に使って。そして1万歩譲ってそれらぜんぶ置いといたとしても、とりあえず大音量のままぶつ切りで次の曲に直に繋げるのはやめような!!!これはやめよう!!!(1箇所とかなら効果的な場合もあるけど基本ぶつ切りだったので)

さらに欲を言えば、殺陣を減らすとなお良いと思いますね…。不要なシーンで殺陣入れてるわけではないけど、3分の2くらいで十分。いや殺陣めっちゃかっこいいし飽きるほどではないから尺とってもいいんだけど(長けりゃいいってもんでもないが)、優先順位的にそこじゃなくストーリーとか描写に使って…という感じ(これは特に好みの話かも)。

まあ見方の問題もあるんだろうな…はい次!はい次!はい!はい!幕!みたいな感じなので、これがこうなってこうだからこうだよ!って舞台を見るつもりで行っちゃダメなんだろうなと。見方が分かればたぶんここまで気にならんのだろなとは思いました。音楽は意識の外に押しやっておけばOK。

 

と散々いいつつ、上に書いた通り言いたいことや思いは伝わってきたし、ここいい!とか、おお!とか好きなとこがあって、つまらん脚本演出だとは全然思えなかったんですけどね。よかった?って誰かにきかれたら良かった!!って言うだろうな…。百鬼丸が寿海に「ははうえ」って言った瞬間、もうなんでもいい!最高!となってしまったし(舞台オリジナルなのか、アニメの現時点未放送のシーンにあるのかはわからんけど)。

なんというか本当に単に趣味が合わないということはあるんだな…という気付きを得ました。まだ脚本家や演出家でこの人のファン!この人の脚本演出なら誰が出ようがなんの話であろうが行く!っていうのがないので、いつかそういう人に巡り会えたらいいなあ。

 

 

 

↓↓↓千穐楽を観たので追記しました。


今更案件なんだけど、最後の百鬼丸の「生きろ」は寿海の「生きろ」の流れを汲んでるんですね。 つまり後天的な親(から得たもの)で生来の父を乗り越えるという構図なわけで、どう生まれるかではなくどう生きるかだ、という作品としての結論かつ強烈なメッセージに繋がってるんだなあ。
(精神的な)親殺し、自我の確立というのはよいテーマだ。ひとはそれを経て一つの個としての人間になるわけなので。

ラストの兄弟対決すごくよかったです。多宝丸は百鬼丸を憎もうとしてた(もしくは憎んでいると信じていた)のかもな、と思うし、百鬼丸には憎まれてると思ってたよね。 だから最後に彼に残ったのは、憎しみでも怒りでもなくて寂しさだった。
舞台どろろは寂しさの話でもあるのかなと思いました。みんな一人ひとり、それぞれにものすごく孤独。それだからこそ、これからどろろと百鬼丸が寄り添って生きるのは、すごくあたたかくて救いのあることなんだな。

寂しさ関係の話をすると、ほんと健人さんの三郎太の身を裂くような孤独が好きで好きで…こないだのCS放送にも映ってたんで録画した方はまた見てほしいんですけど、手負いの獣みたいな眼光をしてるんですよ。そんで笑ってるの。可哀想に最後まで壊れることもできなかったのよ…すごく人なんですよ…。
百鬼丸になんでお前は逃げないんだ、って問いかけるところが本当に好きで。
なんか悪いやつみたいにみえるけど、あの子のなにがいけないっていうんですか!!!とすごく思っていつも心臓がつらかった。 化け物から逃げちゃダメなのか?そしてそのことで自分を呪った挙句に人を喰わせるようになったことを、責めてもいい人なんかいるんだろうかと思ってしまって。だってだれでも三郎太と同じでしょう、あれも「人」でしょう ってずっと思っていた。そりゃ人を喰わせるのはよくないです、絶対によくないんですけども。生きられる人はそりゃ偉いし強いし尊いけれど、でも生きられなかったことを責めることはしたくないなあ、と思ったりしていました。

健人さん華があるなーって思うし、なんかその華の色とかが好きだな。影のあるつやっぽさというか。いつか出世作みたいなものを掴んでほしい…私がみたいので。

 

 

何はともあれ、ほんとに「大きな」怪我なく千穐楽終わってよかった…と心底安堵しています。お疲れ様でした。

この舞台に限らないですけど、どんなに閉じた世界でも、芸術のレッテルがあっても、本人たちがやりたくても、安全管理は厳密にしてほしいと改めて思いました。
たいていの場合、演出家がやりたいと言ったら役者は応えたくなる(もしくは応えるしかない)わけなので、演出家かそれより上の立場の人の意識がしっかりしてないとどうしようもないわけで。失礼ながらコンプラ認識は世間一般より数十年遅れている業界だという印象を受けるので、そのへんのアップデートが早く進むといいんですが…。