オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

髑髏城の七人 Season月 下弦 1/4感想

《本記事にはネタバレを含みます》

 

■1/4 振替公演

 


廣瀬蘭覚醒した...!
 
黄泉の笛で唐突になんかぶわっと来て、インターミッション一人で泣いてました。
殺陣が良くなってたとかそういう物理的な理由もあるんだとは思いますが、なんかたぶん気迫。蘭兵衛を生きてる、みたいな気迫で殴られて涙が出たんだと思います。わたしはいつも気迫で泣いてる。


あと来い太夫、のとこの笑みがあんまりにもうつくしくて、「美しいと思ってしまった」感がとめどなかった...廣瀬蘭...
 

 

・全体
初回(11月)、幼児性がどうとか言ってたのはどこに行ったの...ってくらい、もう完全な大人の物語です。どんどん大人になってきてるなとは思ってたけど、今回は大人の決定版(現時点)。庇護も擁護もできない、自立した大人の話です。
 
今回一番驚いたのが、いつの間にか捨と天蘭が断絶してるって構図ではなくて、捨と天と蘭、それぞれが断絶するようになってたんですよ。
さらに、今までのはそれぞれの生来の性質による断絶だったのが、培った人生に由来する断絶という感じになってきた。前より絶対に分かり合えない感が強くなったというか、もう太陽は東からのぼって西に沈みますよね、というレベルでこの三人が分かり合うことはないんだなと。自明の真理感。
 
この大人×断絶ドライを前提にあの湿度の高い個人の執着愛憎が展開されるの、ものすごく好みです。
 
あと、家族感がなくなって、かつて一つの司令塔の下で仕事をしていた仲間としての関係がかなり見えるようになってきました(仕事仲間上の位置づけとしての兄弟感はあるけど)。諸々の感情はあるとしてもお互いの能力には信を置いてそうなところが、断絶感に拍車かけてる感じもする。 

 


・捨之介
今回は天魔王が落ちたあと、その場でうずくまって動けず。
また会うぞ、のあたりからの笑顔が正気に見えないのに正気だなとわかってこわい。怖いというか、違和感がものすごくてぞっとするというか。
 
あの捨之介は、ある意味初めて『人を殺した』ショックで動けなかったように見えました。初めての人殺し。
そして同時に、この人は天魔王を殺して初めて天魔王が何を生きていたのか分かったんじゃないかと思います。
 
捨之介って、断絶を越えられる、人はみんな分かり合えると思ってたんじゃなくて、自分の生きている以外の世界があることを知らなかったんだな。
 
人を殺して初めて、自分が知らなかったことを知った。その後、家康の場面まで続くおかしくなったんじゃないかという笑いは、それを受け入れようとしている表現だと思いました。苦い苦い、本当は受け入れたくない異物を咀嚼して飲み込もうとしている。そういうとき笑う人なんだよな。
 
そしてそれを飲み込んだからには、捨之介はここから『それを知った』新しい人間として生きていかざるを得ない。そのまま飲み込んだものに呑み込まれて死ぬんじゃないの...と思うんだけど、ここで霧丸ですね!天魔王が落ちた時、ちゃんと落ちたか確認しに行ってるからねあの子。極めて現実的で周到。彼の素直さとともに、こういう面も捨之介を支えていくんだろうなと思います。
 
 
・蘭兵衛/蘭丸
蘭、ほんと強くなって一人の人間として自立してきました。天蘭の関係も対等感が出てきたし、夢見酒前も息を詰めてしまうようなピリピリした緊張感がすごい。あと、無界襲撃前の天魔王への「来い」という呼びかけが完全に雄だったのが個人的にツボです。
 
天蘭対決の時の追加セリフ「殺す」、めちゃくちゃ好きです。乗せられた語気も含め、天蘭の断絶、というか決別をあれだけ明確に表したセリフないですほんと。
 
前からチラチラと思ってはいて、この「殺す」ではっきりした感があるんですけど、蘭丸はサムライ意識が軸にあるんだろうなと思いました。武士道、みたいなメンタリティとしてのサムライ。
天魔王にもサムライ意識はあるけど、それは支配者や為政者としてのサムライであって、蘭のサムライ意識とは違うんですよね。
(こうやって言葉や区分けだけで見ると同じものを持ってるけど、中身ぜんっぜん別!!正反対!!というのがこの二人)
 

 

・天魔王
蘭が自立してくるようになったのに応じて、また方向性が変わってるかな、という印象です。個人としてよりも、為政者や一般的な悪の主導者としてのイメージが前面に出ている。表現としても、真っ直ぐな激しさを蘭に任せて技巧に振れてきた感があるような。
 
私は今までの下弦天魔王がそれぞれ全部好きですが、ひょっとしたら『天魔王』という役はこの路線が王道なのかもしれない。
話が逸れるんですけど、前に天魔王って名前らしきものが出てこないよなと思ったことがあるんですよね(感想書く時に地味に不便)。あれだけ個人としての天魔王の心中が表現されるのに、彼にあるのは人の男、天魔王といった名称だけ。
これがなんでかというと、たぶん本来この『髑髏城の七人』という演目において、天魔王の立ち位置はあくまで悪の親玉なんだろうなと。ヒーローものとかでも悪の親玉って名前がないイメージありますよね。
捨之介が正義のヒーロー、天魔王が悪。蘭兵衛がその正義と悪の戦いに彩を添える、という正統派勧善懲悪モノの構図。
これに沿うも沿わぬもその人次第ではあると思うんですが、ベースとしてはそういうのがあるんだろうなと改めて思いました(超今更感ありますが)。
 
それも含め、捨蘭が自立してきた今、鈴木さんが天魔王の表現をどこに持っていくのかめちゃくちゃ楽しみです。
 
 
あと1ヶ月半...!かっとばせ下弦...!!