オリビエートの坂の上

観劇のメモを投げ込む予定です

祝劇場特別版!!カフカの東京絶望日記みてきたよ

 

2/28(土) 祝劇場特別版!!カフカの東京絶望日記みてきたよ

 

 
ほんとは来週にでも用事のついでに見に行こうと思ってたんですが、なんか日本とかいう国が猛スピードで坂の下までローリングしてるので初日朝イチに飛び込んできました。まあなんか勢いとか大事かなと思って、これも公開初日に上げています。

 

観ながら考えてたこと

 

中身は放送済み回+αなんですが、改めて見ると最初に見た時と違うことを思ったりするし、この世界のシュールさはやっぱりたまらなくツボだなと思いました。あの無言の間とか、フェードアウトの使い方とタイミングとか、とても好きです。映画館で近くに座ってた方から、小声の笑い声が随所で聞こえたのもなんか嬉しかったです。ひとりでテレビ見てるときには味わえない楽しさですね。

 

エピソードはネコチャン回はじまりです。上映会で初めて観たときからKatzeが超ツボだったんですが、ツボる私健在。唐突に口から出るカッツェ、何回見ても吹き出してしまいます。あのマイセンのミルヒ皿はもともと家にカッツェ用の皿があったわけではないはずなので、カフカがカレーかシチューか何かしらの種を食べるのに使っている皿なんでしょうか。猫が割と腕の中から逃げようとしてるのも何回みても面白すぎるし、人間を飼っているつぐみちゃんのテンションが大好きです。

 

承認欲求の回は、たしかにイイネのカウントが回るのは嬉しいことだけど、自分が自分を良しとしてないといくらハートの数稼いでも虚しいものでもあるよなとしみじみ。結局自分で自分を良しとできないとハッピーになりようがないですからね、根本の話をすると。ただ承認欲求自体は、はるか昔マズローの時代から人間の性質として挙げられているものなので、食欲とかとおなじく欲求としてあって当たり前のものです。忌避もせず溺れもせず、自然に付き合えるといいですよね。

 

キャンプ回は、登場人物たちの価値観スタンスが顕著に出ていて救われる回です。未婚シングルマザー、女装するおじさん、とつぜん叫び出して森に消えていく人、自殺しようとしてる若者と、これ以上ないほどの異端のオンパレード。登場人物みんなお互いに素直にやさしくて、ちょっと泣きそうになります。私は大事な人たちに、こうやって接することができているんだろうかな、と思ったりしました。あと映画館の音響だと、カフカが森にウワアアアアアアアアーーーーーーーって入っていく叫び声がめっちゃ響いて最高。

 

婚活回は、断れないカフカの顔がすごい共感してしまって笑います。といいつつ私はスパっと断る方なんですけど、心の中ではあんな感じの顔してますね。性別にかかわらず、結婚に夢見るっていうのはこのご時世では鼻で笑われたりするのかもしれないけど、素敵なことだと思います。パートナーがいる人生って、きっとかけがえのないものなんだと思うので。

 

地下アイドル回は、俗にいうワカテハイユーが客の立場を演じるという、メタいシュールさがありました。ビジネス手法がエンタメというより水商売に傾いてるのは女性アイドルだけでなく、男性アイドル・若俳界隈もおなじですからね。もちろん人によって程度の大小はありますが。少なくとも客の私たちは、仮にもその界隈に属する誰かを「推し」とか呼んでいるのなら、その構造に異を唱えるべきだと思うんですけど皆さんの認識はどうなんでしょう。なお私は水商売という業態を否定しているわけではなく、アイドルや俳優の看板掲げてそれをやるなよと思ってるだけです。

 

最後の変身回は、ポジティブ☆カフカの爆裂っぷりと親子というものの難しさとで笑ったり考えさせられたりの回でした。スキップしてる鈴木さん面白すぎるし、親の呪いってどうしたらいいんですかね。人は皆すべからく親から生まれてくるので、生まれた時点である種呪われているわけですが。親っていっても遺伝子上のつながりがあるだけのただの人間なんですけど、それで割り切れないとこともありますし。ひとりの自立した個でいるっていうのは、親にとっても子にとっても案外難しいことなのかもしれません。あとあの流れで終わったのでブロート氏とケンカ別れしちゃってるのさみしいな~。一話の冒頭でドヤ顔ぶっこまれた時からブロート氏のことが大好きなので、ぜひ仲直りしてるとこが見たいです。

 

こうして振り返ってみると、どのエピソードも独特ですね。青空って青いね、みたいなことを言いますけど。でも総じて私にとってこの作品は、すごくやわらかくてやさしいものだったなあと思います。

多様性のスタンスが近未来SFだった、という話は別記事ですでに書いたんですけども、今日改めて観ていて、人のことをどうこういう前に自分のことをまず認めないとな、そこからだな、と思いました。他の人のあり方をそのまま受け止めるのと同様、自分にもそうしてあげないといけないなと。私も全然中央値の人間ではなくて(まあ完全に中央値の人間なんていないですが)、皆はできてるのに私はできないってことがたくさんあって、本当ならそれはそれっていうだけの話なんですけど、やたら自分を責めたりしていて。そんな人間が他人に対して「君は君のままが一番オッケー!」って言っても説得力なさすぎなんですよね。それほんとにそう思ってんのか、いい子ちゃんのおためごかしじゃん、という。

エンドロールの後の、「僕は明日に向かって歩くことはできない、躓くことすらできない、できるのは倒れることだけ」っていうシーン、とても好きです(セリフはニュアンスなんで間違ってたらすいません)。とりあえず私も倒れるだけの人間だと受け止めよう、と思えました。
またその倒れてる鈴木さんの美しいこと。この謎の美しさもあいまって、なんかそれはそれで良さそうだなって、あまり構えずにいよう、みたいな気持ちになれました。

 

  

パンフがめちゃくちゃ良かった話


パンフに力入っててびっくり。普通にドラマの静止画切り貼りして終わりだと思ってました。それがまさかの取りおろし!!!!インタビュー込み8P!!!!私は映画館で何を買ったんだ??最高の雑誌??パンフの企画の方、ありがとうございます。写真はそれこそ雑誌の特集とかいろいろなところで見る機会はありますけど、ベストオブ好きな写真のひとつになりました。鈴木さんグレープアイス色似合いますね!!雨が降っている情景も、湿ったちょっと冷たい空気が漂ってくるようでとても素敵です。
そして最初と最後の見開きの場面写真の鈴木さんの美しさ。この誌面作った人、鈴木さんのこときれいだなって思ってるのがわかります(?)。ほんとにこの、静かな滝みたいな不思議なきれいさはなんなんでしょうね。

 

あと頭木さんとアサダさんのクロストークも読めて良かったなあと思いました。つぐみちゃんのお笑い回は視聴者が女性メインなので特に入れてくださったのかなとも思うんですけど、あの回はTwitterでも反響が大きかった気がします。女性にとってあの手の絶望はルーチンワークとも言えるもので珍しいことではなく、でも少なくともこれを作った人はそういう絶望がこの世に存在することをわかってくれてるんだなって思って、とてもじーんとした覚えがあります。

つぐみちゃんの絶望絶叫に客が誰もリアクションもしないのも、現状こうですよねっていう綺麗ごとじゃなさがあって誠実だなと思いました。そしてカフカがひとりで拍手をするのは救いで、でもやっぱり他にはだーれも追随してすら拍手しなくて。私は似たようなことがあったら空気読まずに拍手したいし、できれば頑張ってつぐみちゃんみたいに叫んでもみたいなと思いました。黙ってるとその場はいいかもしれないんですけど、というか黙らないと不利益被ることも多いんですけど、なんかすり減るんですよね、自分の尊厳とか存在が。現時点ではすり減ってるだけなんで、絶叫するのは今後の目標です。
そして逆に自分が強者側に立った時は、あのクソダサ先輩芸人と同じようにならないようにしたいし、少なくとも指摘されたらちゃんと気づいて恥じて改められる人間でいたいなと思います。

 

話が横道に逸れましたが、最後に頭木さんがおっしゃっている「ネガティブでもいい」の話のくだりにはハッとしました。確かにその通りで、多様性が大事だなんだといいながら無意識に「これがいい、こうあるべき」基準を自分の中で作ってしまってるなと思います。それに、その「でも」って、二重に私たちの首を絞めるんですよね。ポジティブではないことに対する自己嫌悪と、ネガティブでもいいとすら思いきれないときのさらなる自己嫌悪、みたいな。良いとか悪いとかの概念から離れて、単にネガティブです、っていうそれだけでいいんだよなあ。

 

 

ということで、とりとめがないですが初日みてきたよ!というご報告と感想のメモでした。
せっかくなので、テレビで観たことない人もたくさん観てくださるといいなと思います。このシュールさをいろんな人と共有したいし、キャストのファンだけが観るというのではもったい作品だなと思うので。そしてぜひ、またいつかカフカさんに会いたいなあ。

 

喪失の世界(舞台 鬼滅の刃 感想)

 
1/23(木)夜 舞台 鬼滅の刃

 

 

概観

真面目、超真面目!!!!
末満さんの原作準拠系2.5は初めて見たんですが、神経質といってもいいくらい原作に忠実。ここまでやってダメならもうどうしようもなくない?というラインまで原作に沿ってるなと個人的には思いました。原作を演劇に「起こしてる」感じですね(文字起こしとかの起こし)。
私はけっこう演出家が再解釈したりするのが好きなので(原作読解力と構成力があること前提ではありますが)、もっと柔軟にやってもいいのにな~と思ったくらいです。
まあでもクライアントのオーダーに応えるという点ではこの塩梅がベストとの判断なんでしょうね。自分のやりたいことはオリジナルでやるんで、という方針の通り*1

ほんと厳密に忠実に作ってあるので、逆に原作通りの絵面から離れるポイントが来ると途端にブワーっと末満さんのにおいがしてきて、それが楽しくて心の中で笑顔になりました。
演出の物理的なやり方でも演出家の味は出ますが、こういう(おそらく意図されずに出る)その人固有のにおいこそ面白いとこだなと思います。

 

各シーンについて

 

先に全体構成の話をすると、原作の都合で仕方ないんですが一幕がだるめですね。でも一幕終盤でちょっと盛り返して幕間が入り、二幕の盛り上げがとても良かったので終演後の気持ちは晴れやか。楽しかった!!って感じです。

しょっぱな幕開けがセンター無惨様でテンション上がりました。白い衣装のダンサーさんの演出、めっちゃ好きですね。白色であるのが最高。
ミュージカルでいう世界観説明導入歌にあたるとこで「ここは鬼の世界~」って歌われたので(そんなこと歌ってない)(歌詞はずっと原作準拠です)、そのシビアさにぞっとしてテンション上がりながらのスタート。

一幕は原作どおりナレーションが多すぎて(ナレーションというか、漫画で吹き出しじゃなくて四角の枠?に入ってる心情とかの説明文)、けっこう厳しいなと思いました。もちろん考えた上で原作そのままにしたんだろうけど、ここはセリフに書き直すなり、セリフと録音のナレーション混合にするなりしたほうがよかった気がします。
そしてさらっと家族が死んでいる。ハ?となるけどこれは原作でもそうなのでいかんともしがたいところ。

その微妙なテンションのまま冨岡さん登場。印象付けなければならない場面である生殺与奪セリフがインパクトに欠けた感じ。他のセリフ聴くかぎり下手な方ではないと思うんですが(アクションの身のこなしもよかった)、長台詞はやっぱ難しいんですかね。で、全部セリフだと場がもたないので歌入れるのはナイスアシストなんですが、笑止千万は何回も歌われると笑うのでやめてください。
禰豆子ちゃんは背負われてる時から動きも唸り声もめちゃめちゃ良くて、冨岡さんに立ちふさがったとことかブワッと涙腺がゆるんでしまいました。華のある動きをされる方だなと思います。

修行も引き続きナレーションなのでうーんという感じですね。ここは日記調だし原作のままでいいので、バランス考えてやっぱ冒頭をセリフでやるほうがよかったのでは(以下略)。
錆兎はかっこよくて気迫もあり、真菰も声が通っていい感じ。依然流れ的な盛り上がりには欠けるのですが、鱗滝さんの方が上手いのもあり、飽きずには見られるかなという印象。
しかし家族を惨殺されて妹が鬼になり冨岡さんに責められ鱗滝さんに怒られ錆兎にぼこぼこにされというコンボ、こうして通しでみると普通につらすぎて、わりと終始ウッ……となってました。

修行終わって最終選別、藤重山の説明の歌は雰囲気あって好きです。産屋敷の子供たちの得体の知れなさが良い。初回バトルシーンはダイナミックな演出するの難しそうだなと思いました。

で、微妙に起伏に欠ける感じのままで浅草へ。
浅草の歌、一番良かったかもしれないです。都会だ!って炭次郎が思った気持ちのイメージみたいなものが伝わって素敵。
そして無惨様の登場!!敵ボス出てくるとやっぱ盛り上がりますよね。というかヒデ様がこういう役似合いすぎて、俺の顔は青白いかソングから全体の流れがようやくエンジンかかってきたな!って感じでした。
そのまま幕間前の曲へ。このメンツで鬼は無惨だけなのに、この存在感。やっぱヒデ様のこういう役は最高だな!!


二幕、登場人物も増えて流れがようやく加速。
珠世さんの方は歌がきれい。ほかのキャラの歌だとわりと音楽がバーンと主張してその中で歌わせるのに対し、珠世さんは歌のほうが前面に出されてたのでなるほどなと思いました。愈史郎さんはリアル愈史郎さん。
朱沙丸(手毬の鬼)と矢琶羽(矢印の鬼)は雰囲気が原作ぽくてよかったです。バトルシーンも毬とか動く矢印とかの要素があって華やか。矢印を映像だけでなくリボンでやるの好きです。黒子さんが出てくるのも楽しい。名前を出してはいけない無惨のくだり、毬を持つ童女と無惨の残酷さの対比がぞわっと恐ろしくてショッキング。舞台を横切っていくだけで存在感と空気感がある無惨、やっぱいいなあ。
炭次郎と禰豆子の、俺たちは離れ離れになりませんのくだりはじんとしました。原作でも好きなシーンなので、丁寧に演じられてて嬉しかったです。小林さんの炭次郎はこういうシーンが良く似合いますね。

そして善逸!!!!善逸が出てきた瞬間に次元が三から二に急速吸引される面白さ。とはいえ単に二次元ぽいというだけでなく、間が絶妙で善逸がなにかやるたびに笑いが聞こえる。プロのやる2次元キャラ的キャラ、見ごたえありました。
鼓屋敷バトルはこれまた楽しかったです。わざわざ響凱(鼓の鬼)を頭手前にして台に寝かせて部屋が90度回転してるのを表してるのとか、そこまでやるんだなって感じでしたね。とりあえず背景映像で部屋回しとけば普通に立たせといてもそれらしくなるのに、演出の気合を感じました。部屋がひっくり返る表現で炭次郎を宙返りさせるのもオオーーー!となるし、こういう演出をわざわざきっちり入れてくるの、こだわりを感じて大好きです。
響凱の回想とか原稿踏む踏まないの下りもあって結構ボリュームのあるパートですが、まとめ方も端的で見事。
伊之助もブワーーーッと走ってくるよい伊之助だったな。こうやって実際にみると被り物してる人間って存在感がすごいある。
あと、善逸の霹靂一閃の演出すごく好きでした!!!女性の高音のコーラスが、高いところから鋭角で落ちるみたいな稲妻の視覚的なイメージにすごく合う。見せ場にガツッと尺割いて、大ゴマ演出やるの最高だった。
鼓屋敷編、正一くんがいい味出してましたね。アニメっぽい正一くんでなかなか絶妙だった。
で、藤の家紋の家での休養→出発して那田蜘蛛山に向かうところでエンド。綺麗な終わり方でした。

 

演出所感

歌が多いんでミュージカルではみたいなこと言われてましたが、ミュージカルではなく演出手法として歌がたくさん使われてるって感じでした。
歌のおかげで、説明バトル説明バトルみたいな流れが単調にならなくてよかったです。
バトル漫画原作ものって、そのままやると日常!敵出た!えいやー!やられたー!みたいなのの繰り返しになるので飽きるんですよね。スーパーの屋上でやってるヒーローショーを2時間延々見せられてるみたいな感じ。
あと淡々と原作どおりに話進めていくとのんべんだらりになるところ、歌入れることで緩急付けてるのもいいなと思いました。

 

舞台装置はまずセットがよくて、会場入った瞬間おおっ!と思いました。作品ロゴとか技の形とかをイメージさせる形。上手の裾が坂になってるのナイスアイデアです。
そして襖(?)凄かったですね!!ありとあらゆるところですごいスピードですごい回数登場して、工数が多い……って白目剥いてしまいました。そのほかにも、もうありとあらゆる手段を使って原作の呼吸の技や血鬼術や鬼自体やなんやを表現していて、よくこれだけ考えてやり切ったなと思います。出ハケとかどの人をどう動かすかとかの段取りの数を想像するだけでも、口から泡吹いて倒れそう。頭が下がるばかりです。
できる限り映像ではなく演劇的手法を使うという意気があるのすごいし、それがあるからバトルシーンががのっぺりせずに済んでるんだろうなと思います。

 

あとまあ好みかとも思うのですが、人物の映像はダサい。背景とかは全然いいんですけど(あれだけ場面変わると映像使わないとわかりにくいし)、人間の映像がちょっと……個人的にはシラケます……。
せっかくセットに上段があるんだからそこにその人物の衣装着せて立たせてスポット当てればよかったんではと思ったんですが、あの少人数で回してるんだから着替えとかで厳しいのかな。
諸事情で無理だったんなら映像屋さんに垢抜けてもらうしかないけど、じゃあどう変えたらいいのかと言われるとよくわからなくて悔しいです。わからないのに言うなというね。

 

内容的には、原作の取捨選択はすごく考え抜かれてて適切だなと。
その中でも、炭次郎の手を「子供の手ではない」と珠世さんに言わせてたりして(原作でそのセリフが出る部分は舞台では丸々カットされてる)、そのセリフは流れ上スルーしても問題ないのに、脚本書いた人はこれが大事だと思ってわざわざ組み入れたんだなーと思えて、そういう読解の跡みたいなのがわかるのも楽しかったです。漫画でもずっとボロボロに描かれてるもんね、炭次郎の手。

全体としては若干細かく整合性整えすぎというか、もっと勢いで流せるところは流してもいいんじゃないかと思ったんですけど、原作準拠ものだからこれでいいのかなという気もします。まあ単に私の好みとは微妙に塩梅が合わないだけということで。

 

舞台版の世界観

単に演出上の物理的な都合を私がそう解釈しちゃっただけかなとも思うんですが、しょっぱなから「ここは残酷無情の鬼の世界ですよ!!!」と宣言されたので(正確に言えば無惨が始まりである世界、という感覚だけど)それが面白すぎてテンション上がったし、世界のとらえ方が思ってたよりシビアでちょっと泣いちゃいました。
世界の道理は鬼のほうにあり、人間は喰われ喪われるのが前提の世界。

冷静に考えれば私の原作の受け取り方が甘かったなとは思うんですけど、舞台の鬼滅の世界は私のイメージより、何もかもが喪失から始まっていました。
鬼滅世界では鬼の存在が広く認知されてはいないみたいなので、あの世界の人たちは周りの誰かが鬼に喰われて初めてこの世界が鬼の世界だったことを知るんですよね(全員がそうではないけど)。そういう意味で、世界は常に喪失から始まるわけです。そしてそのあとも、鬼に喰われ殺されてどんどん喪っていく。そんな圧倒的理不尽や不利を強いられて、世界は哀しみと諦念に満ちていて、でも生まれて生きてしまっているから、歩くしかない。

なら鬼の側はどうかっていうと、鬼に対しても描き方はシビアだったなと思っていて。
個人的に鬼は哀れな悲しい生き物というイメージが強かったんですけど、この舞台の鬼たちは悲劇のヒーローではない。異能があって強いだけで、結局等身大の生しか持ち合わせていない。何の因果か鬼になって、記憶をなくして、人だったのに人を喰って生きてて、でも結局それも無惨一人の気分で吹き飛ぶような生で。

鬼と人間、そこにはなんの大きさの差異もなく、ひとりぶんの悲しみとひとりぶんの悲しみがあるだけ。
そういう根底にある空気感、シビアさとか欺瞞のなさがこの舞台の色だなと思いながら見ていました。

 

あと、舞台では人間が目の前で死んだりそれを悲しんだりするからか、人ひとりが死ぬことの事実が重いな、というのも感じました。この作品は家族が死んだとか仲間が死んだとか、複数形の死が描写されることも多いんだけども、それは決して複数形ではなく一人と一人と一人と一人の死なんだなと。喪ったひと一人ひとりに対しての思いを無数に積み重ねて、この世界の人たちは生きてるんだなあ。

 

キャストさん

炭次郎の小林さん大変すぎ!!!!本当に出ずっぱりの喋りっぱなし動きっぱなし。殺陣ありアクションあり歌あり。なんかもう立ってるだけですごい。
しかも休演日ないでしょ……いくら東京公演9日間くらいとはいえそんなことある?一日くらい休み入れてよ……。
小林さん、これからの方なんだろうという感じで(違ってたらすいません)ここはもっとこうだといいなあと思うこともたくさんあったんですけど、でもなんか好きだなあと思いました。
人が良くて一生懸命で真剣で凡庸で、でもまるで慣性みたいに諦められないから、心臓が張り裂けようが血反吐を吐こうが立って戦うしかない炭次郎。
原作の炭次郎は私のイメージだとサイコ宇宙人なとこあるんですけど、小林炭次郎にはそれがすっぱりなく、なんか身近にやさしくて苦しくてそれがよかったなあと思います。
まあ公演時間二時間半くらいほんとにずっと見てるので情がわいたのかもしれないんですけど、それも人徳ということで。

 

禰豆子ちゃんのあかりさん、今回見つけた期待の星ナンバーワンです。セリフがなくて、しかも鬼という難しい役ではあったと思うんですけど、まったく情報量を落とさないしむしろ雄弁なくらい。禰豆子の芯の通ったところが抜群に出てたと思います。
事前に動ける方だと評判聴いてたんだけど、アクションすごかったな!ちっちゃいねずこの動きも、ちょろちょろしたりててっと歩いてるのがとってもかわいい。すごくかわいい。かわいいけどやっぱり戦うときの迫力が最高にカッコよくて、次作以降のガチアクションめーーーっちゃ見たいですね!!!

 

植ちゃん様はガチで植ちゃん様~~~!!!って感じでした。さすがの技術職というか、やっぱりシルエットをバシッと決めてくるし、あの声なりテンポなりよくあそこまでアニメに寄せられたよなあ。ああいうものを見せられると次元の境目がゆがんでいく……。出てきたとき客席の空気が「!?!?」みたいになったのすごかったです。あと歌えるの存じ上げなかったのでびっくりしました。すごく綺麗な声でした。
あ、全体的にキャストさんたちの歌のレベルにはばらつきがあったんですけど、演出として使われるのに気になるほどではなかったです。ミュージカルじゃないですしね。

 

ヒデ様無惨の話は上でもしたんですけども、この役に必要とされる存在感がありありのありで楽しいです。声も通るし歌い方も一人で勝てる!!って感じ出てて、イヨッ鬼の大将すべての元凶!!今日も理不尽!!ってコールしたいです。メインテーマ曲のときも目立つし、ほんとこういう役で見るの良き。パワハラ会議めっちゃ見たいな。

 

あとは長くなるんで割愛しますが、アンサンブルさんのやる役(というかメインキャストの兼ね役も多かったと思いますが)も作りこまれてて、違和感なく原作の世界だったと思います。出番が少なかろうが端役だろうが、相当隙なく作られててすごい。

 


ということでいろいろ書いたんですけど総じて楽しかったですね!!

今回は序盤の導入部分だけど、原作でも柱が出てきてから盛り上がってくるところもあるし、内容的にも末満さんぽさが映えそうだと思うので次作以降にすごく期待しています。あるよね次作。
まあ長期連載3本抱える脚本演出家とは……って感じではあるんですが。末満さん健康に長生きしてほしいです(人の健康を私欲で祈るな)。

 

ハア~でも私しのぶさんとカナヲちゃん師弟が大好きで、今回も姿だけのカナヲちゃん見ただけでちっちゃい細いかわいい強いぞ!!(うちわ激振り)って気持ちが爆発してしまったので、あの仇討ち戦とかみたら情緒爆発してしんでしまうな……。

 

2019年観劇リストと軽い振り返り

2019年観劇まとめ

 

ざっくり時期順。

 

■舞台演劇

音楽活劇SHIRANAMI

画狂人 北斎

スリル・ミー

トゥーランドット

どろろ

義経冥界歌

SPECTER

ふたり阿国

PSYCHO-PATH VV 

レ・ミゼラブル

恐るべき子供たち

COCOON 月の陰り

COCOON 星ひとつ

最遊記歌劇伝

刀ステ 慈伝

天守物語

幽遊白書

絢爛とか浪漫とか

繭期大夜会

刀ステ 維伝

劇団朱雀

 

■演劇以外

めいめいさんのワンマン

いんぷろ

カフカ先行上映会

虫籠先行上映会

 

 

■軽く振り返り

演劇以外含めても回数が目標数値内に収まった!!!目標を達成できる子です!!!

作品としてのベストは恐るべき子供たち、次いで天守物語かな。

映像しか見てないけど良かったのは何といってもモリミュ(ミュージカル 憂国のモリアーティ)ですね。あと宝塚のポーの一族もよかったな。

 

出会った役者さんで好きになったのはアンジェリコの安西さんと長義くんの梅津さん。あと唐橋さんね!!唐橋さんの演技めっちゃ好き。

めいめいさんの歌もライブで聴いてさらに好きになりました。歌がすごく舞台(演劇)っぽいので個人的にはライブって感じはあんましないのだけど。ライブハウスもいいけど、いつかそれこそオーチャードのようなところでワンマン聴きたい。

そう、去年行けなかった例の夜会に行けたのうれしかったです。見渡す限り黒い服の人たちがライネス歌ってる光景、宗教行事。今年は繭ミュ期待してます。

 

いわゆる2.5的な2.5はあんま積極的には見なかったな。原作そのまんまされても特に面白くないな~と思ったので。原作そのまんまで尺頑張って詰め込んだのを人間がやってるだけみたいなのもあっていいと思うんですけど(たぶん需要もあるし)、そろそろ軸持ってちゃんと解釈してる作品が増えてもいいんでないかな。巷の同人誌のほうが言いたいことあるじゃん?みたいなのがけっこうあるので。あなたにとってこの作品はどう見えてるんだ、とよく思ってしまった。本来、軸も言いたいこともなしに作品なんか作るものではないよね。

 

それはそうとして、観劇始めてからインプットばかり積み重なっていっているのが自分の中でアンバランスだなとずっと感じているので、何か自分なりにアウトプットできる手段を模索していきたいなと思います。絵とか描ければいいんだろうけどね!描けないので何がいいのかな。

あと健康。心身ともにいろいろダメな状態で観劇しても受け取れる量が少ないなと痛感したので、少しでも健康に近づけるように各所頑張って治療します。

 

ということで皆様2019年お疲れ様でした。今年もぼちぼち頑張りましょう。

 

朧という語感がまず好き(刀ステ維伝感想)

11/28(水) ソワレ 舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち

 

 

すえみつさんが元気そうな作品で良かったです!!楽しいね刀ステ!!なんでそんなことするの???(膝蹴り)(膝蹴り)(膝蹴り)

 

考察も書こうと思ったんですけど、頭爆発したのでとりあえず感想だけです。

 

 

作品概感

 

年末の2時間ドラマにできる(真顔)

 

今回はキャスト的に歴史上人物組を一番楽しみにしていたんですけど、 四人とも圧倒的芝居力で最高でしたね!!!!!序盤数分をほぼ刀剣男士抜きでつくってたのよかった。作品にのめりこませるかどうか、あるいは観る気にさせるかどうかって序盤の数分がまず勝負だと私は思ってるので(そこでハズすと後の挽回に相応のパワーが必要になるので)、そこでがっつり芝居をしてくれるの嬉しい。序盤からモブでバーッと人数出てきたのも、でかいタイトルの演劇っぽい派手さがあってよかったです。

OPに入る前の時点でどっちかというと2.5観に来たというよりいわゆる一般の演劇観てるなって感覚があって、割と最後までそんな感じでした。たぶんストーリーの性質もあるのかな。

 

総じて2.5やればできるんじゃ~~~ん!!!!(天空からのウエメセ)って感じがあります。キャストに今回の歴史上人物組みたいなベテランをがっつり組み込んでがっつりお芝居してもらって、若いこれからの方には設定の多いキャラ的なキャラをやってもらってキャラの力でブーストかければバランスもとれて普通に面白い作品が!!作れる!!まあ脚本の質が前提だし、ストーリーを原作に縛られすぎないとかベテラン世代の人を設定上出しやすいとか条件はあると思うんですけど。

 

という2.5論は別の機会に譲るとして、これシリーズものとしてのあれそれをなくしてドラマっぽく多少一般ナイズドしたら年末の時代劇2時間スペシャルでいけるレベルでは?このご時世、時代劇も刀が人間の形してるくらいのトリッキーさがあってよくないですか。若くて綺麗な人たちが華やかにガチ殺陣やり、ベテラン勢がどっしり物語を支える時代劇、いいと思います。映画刀剣乱舞の時にネオ時代劇爆誕ではみたいな感想があがってましたが、それと同じ感じありますね。まあ現実的には朧とは・・・?みたいな感あるのでこれをそのままドラマにと思ってるわけではないんですが、仮に自分が界隈外の人間で今作をテレビでみてても面白い!!って思えそうで、そういうところまできたんだなーみたいな感慨がありました(常に天空から目線)。

 

あと関係ないんですが、今回ハコが大きくて公演数もあって(ありがとうございます)チケット取りやすかったからか(※あくまでシリーズ過去比)、女性に連れられて男性がちらほら来てるのも嬉しかったな~。面白いものは垣根なくたくさんの人に観てほしいし、それで面白い!って思う人が増えるのはすごくハッピーなことだと思います。刀ステってガチ殺陣歴史SFなので、性別関係なく楽しいと思う人いそうだしね。

 

 

刀ステとしての雑感

 

シリーズ終結までの段階として『物語集め』が提示されたの、発明だ。

これにより、どこに誰が出陣しても裏目的は物語集めであり、作品を重ね物語が集まって刀たちが強くなるごとに三日月関係の真実に近づいていく、みたいな流れができる→各刀が物語を得るのを描けばそれすなわち本筋を進めてることになるので、どこに誰が出陣しようが無限に話が作れるぞ!!

変に三日月関係の本筋こねくりまわさなくても話作れるようになりそうで良かったね、というのと、新章に入って俗人的な縛りからある程度解き放たれたのだな、という安心がある。

 

悲伝(の続きと捉えての慈伝)までは鈴木さんと荒牧さんのスケジュールを抑えることが大大前提。三日月と山姥切がいないと話が進まない上に性質上役と役者も不可分で、ほかの役者がその役を演じることも実質できないという縛りプレイだった。

でも物語集めという軸を置くことによってこれからは誰が出ても話が進むぞ!!鈴木さんと荒牧さんのスケジュールが取れるまで(最終作はそうしないと話終わらないと思うので)ゆっくり新章やろうぜ!!そしてこれまで観てきてよかったなと思えるエンディングをみせてくれ・・・。物理的事情に縛られすぎると作品の内容にしわ寄せがいくからね・・・。

 

そしてそれとは別に、刀ステって2.5では規模トップで出演したら名前は売れるし、作品の質的にもある程度担保されてるので、いろんな若手の役者さんを育てる場所になる、みたいな意義もあると思うんですよね。その意味でも、いろんな人が(変に本筋に関わりすぎることなく)出演できる物語集めシステムは良い発想だなあと思います。

 

それはそれとして、鈴木さんの三日月と荒牧さんの山姥切という代替不可能性でできていた刀ステ、爆裂面白かったですね。こんだけデカいコンテンツでこんな再現不可能なことやってるの力こそパワーすぎるなと思って観るたびに楽しかった。はあーーーすべての最後には戻ってきてくれ・・・。


演出とか

 

過去イチで演出ついてる!って感じで演出ついてた!!というかセットが立体可動式!!

使う劇場によっては奥行がなくてできなかったりもするんだろうけど、舞台装置に奥行があるのはやっぱり良い。見え方が立体的になるので。街が動くという設定も映像だけでなくセットで体現できたのでほんとによかったよね。折りたためる橋とか中を通り抜けられるとか、構造も楽しかった。

セットの動かし方は極端に危険だなというところはなさそうに見えたけど、なんせ大変そう。かなりの段差を飛び降りたり飛び乗ったり、階段駆け上がる回数が多かったり狭い動く箱の上で殺陣やらないといけないなど相当キャストに負担がかかる仕組みなので(それだけに派手でドラマチックにはなるのだけど)、最後まで全員無事に何事もなく戦い抜けられることを祈ってます。

照明も相変わらず綺麗。罠ミュのときの色使いとか、ショーっぽいビビッドな照明がここ数作印象に残るけどマイブームだろうか。私は好きです。

『朧』の見た目チェンジもよかったな~!白髪白塗りに隈取風のメイク。義伝の黒鶴のときはなんか髪と衣装黒くしたから何??感あったんですけど、白い三日月も朧も色変えただけじゃないという意味みたいなものが感じられるので嬉しいです。

殺陣、派手でよかったですね。歴史上人物の殺陣が見ごたえあるので、元主とのタイマンが映える。後半の殺陣シーンでは舞台上にいる人数がかなり多いことがあって、ハケる人と出る人の動線がきれいじゃない(というか袖付近が混んで詰まってる)ところが見受けられたので、これから公演数重ねて綺麗になっていけばいいな。



役者さん

 

蒼木さんは本当に刀ステに相応しい座長だなとカーテンコール観ながら思いました。相応しいって言い方あんま好きではないんですけど、蒼木さんの陸奥守の清々しさや心根の健全さは新しい風みたいで、新章の座長にぴったりだった。殺陣の量すごいよね?体力と身体能力にめっちゃ期待されているのが演出からゴリゴリわかって楽しかったです。

肥前の方も殺陣すごいできてオッ!?となりました。以蔵さんとタイマン張る必要性からこの配役か~という感じ。

染様は染鶴全開でありとあらゆるところで軽やかに茶々を入れ、それが強調されているからこそあの「寂しい」が私の心臓に根を張っている。あのトーンで、あの温度感で「寂しい」と言えるのが染谷さんだよな。

小烏丸の玉城さんはやっぱり刀メンツの中では一段違う。刀剣男士にもこういう方が一人いるだけですごく締まるなーと思うし、それとは別になんか悲伝組ってある種の圧があるよね。なんにしても小烏丸を玉城さんにしたことも、立会人にしたことも名配役だったなと改めて思いました。

歴史上人物組(人間組、と今回言いにくい 朧なので)は四者四様サイコ―でした。これが舞台演劇だよね!!もともと拝見したことがあるのは東洋の唐橋さんだけなんですけど、やっぱり唐橋さんの演技が好きだという思いを新たにしました。めっちゃ良い。今回は長モノも扱ってて素晴らしかった。好き。



好きなシーン

 

肥前に相対したとき、以蔵が「同じにおいがする」っていうところ

アーーーーーーーーある種の予感がするからやめろ!!!様式美??匂わせ??(?)なんでもいいけどそういうことを言わせるんじゃない!!

 

っていう、キタ!!!!感が好きなんですよね私は 罪深いな

 

鶴丸の「寂しい」

鶴丸は今作(というか場合によっては今までの作品でも)ずーっと飄々とした言動をしてるじゃないですか。いかにも鶴丸然とした軽快な振る舞い。それがあの「寂しい」だけ違ったんですよね。なんの装飾もない、単に胸の中にあるものをそのまま口に出した、みたいな温度感のトーンとことば。これ以上ない答えだと思った。

たぶん染鶴だから「寂しい」が理由なんだろうなあ。健鶴は多分ああは答えない。健鶴はなんか、怒ってるんだろうなあと思います。悲伝のときからずっとそう思っている。

 

・「日本は良い国だ」

龍馬の朧が、自分が見届けることのない日本の未来を問う。陸奥守はそれに「良い国だ」と答えるけど、あれは回答というより信念の表明なのだろうな。龍馬や過去の人間たちが精一杯紡ぐことでできた未来、それがどんなどんな形をしていようがもうその時点で、精一杯紡がれてきたという事実において「良い」ものであるのだ、という信念。このてらいのない考え、陸奥守だな~~~と思えてとても良かった。

そして作品とは別の話になりますけど、いい国だ、とこんな風に断言されるとドキッとしませんか。私たちもまごうことなく「紡ぐ」人間の一員で、ならばお前は彼の「良い」という言葉に恥じないように未来を紡げているか?と、心臓に突き付けられたようでひやりとした。



 

Q. 歴史を守るのは刀の本能、では歴史を守らない刀がいたらそれは何なのだ?
A. ハイそーいうこと言わないでくださーーーーい禁止です!!!!!!!!!



禁止でーーーすとか言ってないで考察をすれば良いんですけども、SF考察苦手すぎてどうしようもない

考察というか疑問点とか追記するかもしれませんがとりあえずここまでで。

 

舞台「幽☆遊☆白書」感想

9/7(土)昼 @森ノ宮ピロティホール  &9/22(日)千穐楽WOWOW放送

 

ぼたんちゃんがかわいい!!!!

 

とりあえずこれですね。ぼたんちゃんがかわいい。
原作あんま知らなくて、このへんまで舞台でやるかなってとこまでアニメ見ただけなんですけどその中ではぼたんちゃんが好きで、そして舞台のぼたんちゃんが超かわいかった。最高だった。すき。芝居がうまい。かわいい。蔵馬のモノマネ好きすぎる。

 


役者さんは安定感あるし芸達者メンツでした!
適材適所なのがさらに安定感を生んだんだろうなと思います。
郷本さんと荒木さんはすごい。たぶんあの笑いの感じとか劇場にいないと伝わりきらないんですけど、上手いですよほんとに・・・。
鈴木さんはやっぱオーラありますね(出せますね、の方が適切な表現か)。幽助が一発芸した後に出てくるとことか、袖から出てきただけで笑いの空気を一瞬で変えるので人間シーンチェンジ。
劇場で観てた時、たぶん奥さんに連れてこられたっぽい男性が近くにいて後半ちょっと集中力途切れてた感じだったんですけど、鈴木さんが口開いたとたんビビッと意識が戻ったようだったのでホホーと思いながら見ていました。

 

 

脚本は親切。演出で好きだったのは光る幽助助けにいく瑩子とアンサンブルさんのところ。良い心情表現でした。
全体的にはごくわかりやすい2.5次元舞台で、そのひとつの到達点だなという印象。
それだけに原作準拠系2.5の制約の強さを思い知らされたところもあって、
でも同時にそんなことどうでもいいな、観客が笑って泣いてワイワイ笑顔で帰れるんならなんでもいいじゃん!!と思わせてくれる作品でもありました。

楽しかったねー、舞台幽白!
原作に思い入れあって好きな人が作ってるんだなーと伝わる舞台でした。

 

 

 


以下余談


原作準拠系2.5の制約って、たとえば魔法の表現をどうするとか役者のキャラ再現(再現とは?)とかいろいろあるんですけど、元のシナリオが舞台の2時間用じゃないってのが大きいなーと改めて思いました。

漫画もアニメも一話ごとに終盤小盛り上がりがあって、それが何話か続いて起承転結になってる。
それを舞台にすると、そういう起承転結×3で2時間とかになる面があって、盛り上げ方難しいなと。
なんか全体的に流れがのっぺりする作品が散見されるのはこの辺の要因もあるのかなと思ったりします。
原作のタイプとか、取り上げる箇所にもかなり左右されますしね。
といって原作をゴリゴリに改変するのもそれはそれで差し障るんだろうし・・・。

 

2.5の客層ってどんな舞台が観たいんだろうな、評価ポイントってどこにあるんだろうな。
とにかく原作に沿ってるのがいいのか、構成作り変えるなりしたとしても一つの舞台作品としての出来を評価するのか。

 

でもこの舞台の客席の盛り上がり具合とか終演後の楽しそうなガヤ見てると、
原作への愛情やリスペクトがあって基本的な質が担保されてれば小難しいこと言いっこなしだなという気がします。
そもそも私は観る側であって創る側ではないので何を言う立場でもないんですけどね。

 

というどうでもいいボヤキでした。

 

あとWOWOWさん、幕間インタビュー映像と終演後の稽古場映像ありがとうございました!!!!

WOWOWさん好きだよ!!

 

 

祝地上波!!!カフカの東京絶望日記 感想というか希望の話

 

祝地上波!!!

おめでとうございます!!!


あのシュールで美しいカフカが地上波に乗ってると思うと、超テンション上がりますね。

ということでこの作品の個人的な好きポイントをまとめました。(すでに2つ記事書いてるので再放送だけども)

 

 

作り手の宇宙

 

1話初見時(YouTube)、何を見たか皆目わからなくて3回見たんですけど、やっぱり何を見たのかわからなくて宇宙を見た顔になりました。


まず、しょっぱな冒頭から謎のおじさんがドヤ顔で喋り続けている。
私はこれがめっちゃツボで飲み物吹き出したんですけど、視聴者ウケ考えてる?大丈夫?wってなりました。
動画は最初の数秒が勝負です。私も趣味で動画作ったり見たりする人間ですけど、特にYouTubeの動画なんかはそうで、最初の数秒で「んー?」と思ったら即閉じちゃう。動画っていっぱいありますからね。
そこで無難に鈴木さん(カフカ)の顔出してこなかったの、すごい度胸というか思い切ってんなーと。


どういう意図で作ってるんだ?と思いながら観てたら、出るわ出るわ謎カット。
歯磨き・・・?髭剃り・・・?
ネクタイ締める手の動き、あんなに映すか???
コアなファンのウケを狙ってると思えなくもないけど、それにしては観点がガチすぎる。


これはまさか・・・作った人が見たいものを見せられている・・・。
もうその時点でこの作品のこと、めちゃくちゃ好きになってしまいました。

 

私は作りたいと思って作られたものが好きです。
もちろんビジネスとしてデザインされたものもそれはそれでよくて全く否定する意図はないのですが、画面から「俺はこれが好きなんだよ!!!!」っていう気持ちがゴリゴリに伝わってくるものは無条件に(他人の尊厳を尊重している限り)見ていて楽しい。
たとえその好きポイントが自分には理解できなくても、です。

 

ネクタイ締めるとこが見たい!!みたいな、作り手の(鈴木さんへの)好きポイントも私にはよくわからなくて、でもその「作り手の宇宙」というべきものを堂々と陳列されるのが私はすごく好みに合いました。
作品なんて、他人の宇宙であるのが一番楽しいに決まっている。
この作品を「摩訶不思議コメディ」と銘打っていたWEB記事があったと思いますが、まさにそれ。他人の宇宙は摩訶不思議で面白い。

 

ちなみに私は(ネクタイ締めるとこを見るのに執着心がなくても)鈴木さんのファンなので、
「見て!このネクタイ締めるときのこの(以下略)」
みたいな情熱を、この作品を通して体験できるのが嬉しいなと思います。
好きな人への好きな気持ちはたくさん色んな種類があったほうがハッピーですよね。
好きな人を、その人を好きな人の目を通して見るという贅沢を味合わせてもらっています。

 


新しい時代の希望

 

唐突に大きい話をしますが、現代社会は多様化の時代です。
望むと望まざるとに関わらず、生き方、価値観、選択肢がどんどん増え続けている。
そして留まることなく多様化している一方で、「はみ出たものを叩こう運動」は未だ根強く健在です。
同一同質であれという強迫観念は多くの人に巣くったままで、(もはや変わり者の定義が難しくなっているにも関わらず)変わり者を排除する。

例えば現実にこのカフカがいたら、普通に社会から弾き出されると思うんですよね。
だって「変人」だから。「私たちと同じじゃない」から。

 

でもこのドラマの登場人物たちは、カフカという人間を自然にそのまま受け止めている。
カフカが叫びだしても「あ~叫びだしたな~」という顔をして見守っているだけ。


カフカ以外の登場人物にも、女装癖とか刺青とか前科ありの声優志望とか今の日本社会では爪弾きにされそうなバックグラウンドの設定が付いているけど、みんなそれを(少なくとも作中では)どうこう言われることも言うこともなく、また自分で引け目に思ったりすることもなくフツーに生きている。

それがあまりに夢のようで、すごい新時代だ・・・!もはや近未来SFだ!?!?と観てて思いました。

 

そしてそれは多様性に寛容とかいうより、自分は自分 他人は他人としてちゃんと分けて認識して、かつ適切な距離を保つ、ということかもしれない。
(ちょっと別の角度の話ですけど、この作品の登場人物、周りと普通に友好的な人間関係を築くけど踏み込まないですよね。1話の瑠璃香さんとか顕著だなと思うんですが)

 

で、多様化するってある面ではしんどいこともあると思うんですよ。
選択肢があるということは、自分で考えて自分で選んで自分で決めないといけないので。(ほんとはどんな時代だろうがそうなんですけど、そうしないといけない度合いが強めという話)
画一的な幸せや正義が存在しえなくて、自分で考えないといけないけど分かんなくてあーどーしよかなーと五里霧中になったときに、カフカの存在がささやかなヒント、大げさに言えば救いになるのではないかな、という感覚を持ちました。

カフカの絶望ムーブって一人称なんですよね。常に「僕は」という帰結。

人を救う言葉がもしあるとすれば、それは「あなたは」という二人称を主語にした言葉ではなくて「僕は」という一人称の言葉だけなのではないかな。

人は人を救えなくて、似たものがあるとすれば「誰かの行動で結果的に救われる」なので。
カフカさんの一人称の絶望は、結果的に人に救い、というよりもっと柔らかい希望、を与えることがあるのだろうなと思います。
直接こうしろこれがいいよと言われるわけではない、霧の中でぼんやり灯りを見るような、新しい時代における希望。

 

多様性があたりまえである世界観も、その世界で迷う人々にカフカという灯火を示しているのも、やさしい作品だなぁと思います。
フィクションとはいえこんな世界があるのなら、私もちょっと頑張って地面這ってみようかなと思えるんですよ。

公式サイトで鈴木さんが
「たまたま地上波放送で見かけた人の希望になるようなそんな瞬間があればうれしく思います。」
とコメントしていますが、私にとってはこの作品のそういうやさしさが希望だなと思います。

 


さて現状2話までオンエア&配信されたところです。この先は完全初見、未知の領域・・・!(虫籠のときも同じこと言ってたな)
次回予告のキャンプも楽しみだし、番宣ラストの笑顔ホップステップが気になりすぎる。
最速リアタイできない人にもTVerという素晴らしい媒体があるので、ソワソワしながら待たなくていいしね・・・ありがとうTVer

 

そして地上波ということは各局に応援のおたよりが出せるんですよ!!!
ぜひ感想等送って盛り上げていきましょう。


★各局のご意見ご感想用フォーム★

MBS毎日放送
https://www.mbs.jp/sp/opinion/
テレ玉テレビ埼玉
https://www.teletama.jp/cgi-bin/teletama/form.cgi
チバテレ(千葉テレビ放送
https://www.chiba-tv.com/support/1019
テレビ神奈川は番組への感想フォームがなさそうなので、MBSに送ればいいかと思います。

 


ちなみに一話はYouTubeで観れるんですが、テレビ放送版でカットされたシーンがひとつ入ってるので要チェックです。(あれ好きだったのにな・・・尺都合?)

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そして実はメイキングも上がってるんだよ!!

www.youtube.com

 

舞台 PSYCHO-PASS サイコパス VV 感想

舞台 PSYCHO-PASS Virtue and Vice

森ノ宮ピロティホール

 

 

原作の世界をそのまま持ってきた新作スピンオフ!って感じでした。ここまで PSYCHO-PASSだとは思ってなかった。感想を一言で言うと、「すごくさいこぱすだった……」ってなる。

 

以下割と長いのですが、ざっくり項目分けして感想です。

 

 

<脚本演出の話>

演劇畑の方たちじゃないので(だよね?)どーすんのかな?と思ってたらまさかの「いつもやってる通りそのまんまやる」だったのが面白かったです。テンポ感とか話の流し方、シーン作りとかアクション入れるとことか完全にアニメ(というより尺の関係かどちらかと言えば映画)そのまんまに感じた。演出的な画作りは完全にドラマで、私にとってはめちゃくちゃ特殊でした。セットで撮影中のところを離れて観てるみたいな感じ?というと言いすぎかな。全体を見てると私の中ではそうじゃない感がすごくて(この舞台が一番魅力的に見えるのはこの視野じゃない!みたいな感じ)、2回目以降は位置関係とか観たいとことかわかってるので、7割くらいはオペラグラスを疑似カメラにして観てました。オペラグラスって一般的には拡大を用途にしてるけど、視野の枠を作るっていう使い方もあるよね…!ずっと後方席にいたので前方はまた感じ方が違ったのかもしれない。観てるだけでここをこう撮りたい!みたいな気持ちが湧き上がってたので、円盤の撮り方と編集に期待です。

私はいかにも演劇舞台演劇な演出が好きなのでそういう意味では好みには合わなかったし、映像で撮った方が映えそうだなとは思ったけど、そんならドラマにすれば良かったのにっていうのは違うんだよな…。サイコパスをわざわざ舞台演劇でやる意義って、一番は「シビュラの世界を生身の人間が生身の人間の目の前で生きること」だなと思ったので。シビュラはおとぎ話じゃない、という現実感、切迫感をもってあの世界を見せること。逆に演劇的にしすぎると、目には楽しくてもフィクションっぽさが出てしまうかもなあ、っていうのがあり、私の中ではこの舞台での優先順位はリアリティ>演劇的な目の楽しさだったので、これでよかったなーと。あと劇場ごとガラスの実験箱に入れられたような感覚も持ったんですけど、それも舞台上だけをフィクションにしすぎると舞台と客席で線引きができてしまいそうだし。なんにせよ、いつも自分がこれで当たり前だ!と思ってるのと全然違う点に焦点を当ててる人が作ってる!!って感じがバリバリにして楽しかったです。

細かい話でいくと、リアルタイムカメラという発想はすばらしかった。全体として画がめちゃくちゃ平面的なので、カメラでz軸が加わったのがよかった。現場を電波暗室にしといたのもナイスですね。①ドミネーターの戦闘では演出上限界があるので普通の刃物なり銃なり体なりのアクション主体にしないといけない②2人がドミネーター向け合うシーンの印象付けのために、それまで多用しない方がいい というのがあるので、いい設定だなと思いました。それとヘリの音!頭の上飛んで行ってめっちゃテンション上がりました。

 

 

<キャストさんの話>

内容について考えることがありすぎてキャストさんの感想がぜんぜんまとまらない。そしてなにせお一人お一人がすごくよかったんだよな…そうなるともう逆に満足して「良かった!!!」でくくりがち。サイコパス名物のアクションも、アニメじゃないのに目の前で起こっている…!?ってなったし。特に池田さんすごいね…!?アクション圧倒的だし演技もよかった…すばらし…。

印象的なのはやっぱ和田さんかな。私は和田さんのお芝居をめちゃくちゃ信頼しているのでキャスト発表の瞬間から最高を確信してドヤ顔してたんですけど、いやーすごかった…。なんの不安も与えない安定感のあるお芝居と、ニコっとされるだけで何もかも吹き飛んで夢見心地になる魅力的なお顔と、そして後半のあの…あの光のない目、愛すべき孤独。わだくまさんのファンめちゃくちゃ幸せじゃないですかありがとう…(これ全然感想になってないな…)。

あと多和田さん、太宰役ではじめて見てとっても好きだったので楽しみにしてたんですが、さらにさらに好きになりました。なんかめっちゃ蘭具だったんですよね!!!!(身も蓋もない感想)ああーーーーあのキャラで足技!!回し蹴り!!!!足がながい!!!!多和田さんのファンの方は落ち着いて息を吸ってください!!!!!キャラとしても蘭具くんすごくお気に入りです。

鈴木さんはこう来たか…みたいな演技でした。序盤からずっとすっっっごい違和感。何十分観てもまったく人物像が腑におちなくて、九泉はこういう人!っていうのが自分の中で定まらない。他の人物がまるでアニメみたいにバシッとキャラとして一本通ってるのでよけいに目立つ。考え方も統一性がないし言動が合ってない…「全然違う人間の設定を貼られてる」感じ(これは最後まで観たあとだから言える表現だけど)…と思ってたら、ガチで何者なのか分からない存在だった…………あっそういう…。もちろん脚本や演出によるところも大きいんでしょうが、演技でそんなことできるんだ…。鈴木さんは見る側に与える印象を操作するのがすごく精密だなと思うんですが、今回もいいようにされたなあという感じ。そして真実を知って、憑き物が落ちたように人間になるシーンのあの説得力。母を殺してエリートやってるような人間でなくて良かった、という言葉の安堵感と真実味がすごく好き。鈴木さんのお芝居みるのやっぱ楽しいなあ。

 

井口先輩は唯一無二の井口先輩だし相田さんのあの普通の人間らしさが切なくて大好きで、ほんとはもっとほかのキャストさんのことも書きたい 書きたいけどろくろを回す手が止まらないので次に行きます

 

 

<内容の話>

さんざんいろいろ考えたのに、何書けばいいか全然わからないので適当に並べます!

 

・白衣を着たシビュラは好奇心を持つのか

ちょっと性格疑われそうなんですけど、初見の感想は\シビュラいとしい/でした。人を人と思うという概念のないあの姿が、単純な知的好奇心に見えてしまったので。

今回の話、正直に言うと一番強く思ったのは「私もこれやりたい!!!」「もっと色んな条件で実験してみたい!!!」だったんですよね…。だって人間とは何か知りたいもの。分からないものを追いかけて探求するのは絶対的に楽しい。完全に欲だよね…。倫理や道徳や善悪とは完全に別枠の欲求。自分がそんな感じなのでやっぱりそのフィルターがかかってしまって、シビュラだって中身は人間の脳で、シビュラだとか大層なご身分になってすらまだ人間はなにか問い続けているのでは!?やってること私たちと同じだし、それはなんて人間らしく愛しいんだろう…みたいにどうしても思っちゃうわけです。

 一方で、シビュラは人間からできてはいるけどじゃあ朱ちゃんと同じように人間か、と言われたらやっぱり違う、はずなんですよね。未だシビュラがどんな動機で何を目的としてるのか読み取りきれてなくて、究極の「最大多数の最大幸福」(何故それを望むのかというと、それが最大効率だから?)に向けて進化しようとしてるのかな、というくらいの認識でいるのですが、そういう個の、というか個人的なものを一切度外視するのはまた人間とは違う何かだよなあ。一周回ってシステム的と言ってもいいのかもしれない。

だから散々言っておいてなんなんだけど、いくらあれが知的好奇心に見えたとしても、きっとそうではないんだよな。だって好奇心とかいうものは、「個人的な経験」「個人的な気持ち」だから、シビュラとは対極にある。好奇心があることになれば、それはシビュラの自壊では…という。

でもなー、そうかなー?シビュラとはなんなのだ??みたいな堂々巡りをしているんですよ…。そもそも論点がぐちゃぐちゃなんですけど…。シビュラは個ではないよね?個ではありようがないはずなんだけど、なんか個に見えてしまう時があるんだよなあ…。

 

この作品、軽く手を加えた監視官2人を含む3係とヒューマニストを箱に入れて、それをシビュラが白衣着て観察してるイメージなんですけど、それが面白かったな。

観劇する身としては、さっきまで実験楽しーー!!!って見てたのに、次の瞬間には海に…みんなで海に行って…とか呻いてたり、外と中、みたいな感覚が面白かったです。

 

 

・九泉と嘉納は哲学的ゾンビか?

九泉は部分的な哲学的ゾンビ、嘉納は暗示をかけられてるだけ、と考えてます。あんまりこういう思考が得意ではない人間の、現時点個人的解釈だと思ってもらえれば。

 

九泉は「初日に母親を殺した(執行した)」模造記憶によって、「シビュラは絶対である」「監視官は模範的な人間で、執行官は潜在犯上がりの危険・不適合な人間」というようなマニュアルを与えられた。マニュアルに関する事柄については、それに沿って言葉が出力されているだけ。例え言葉で怒っていても感情が伴っていない(自分で醸成した考えではない、思考が伴ってないから)=クオリアがない。マニュアルに関連しない事柄は(影響は受けるとしても)基本的に元の九泉から変わってなかった。で、マニュアルが燃えてなくなる(模造記憶だったことを知る)ことで、元の人間に戻った、という感じかな。

ゾンビといっても模造記憶のフォルダひとつ上書き保存されただけで(上書き保存なのかデリート→新規保存なのか、どういう処理してるのか気になるけど)、あんまり弄られてないなーという印象。その人がどんな人間かっていうのには先天的要素(遺伝子で最初から決まってる系)と後天的要素(それ以外)があって、模造記憶は後者のごく一部なので大丈夫、そんなに悩まなくてもだいたい君のまんまだから!!と思いながら観ていた。

 

嘉納はただ「クリアになったよ!監視官に異例の出世だよ!」って言われただけで特になにもされてないですよね。単なる暗示。というか暗示ですらなく、嘘をつかれただけ。これ手段としてかなりローコストだしこれでクリアな監視官作れるんならコスパいいけど、人間の性質をこれだけで変えるのは難しそうかな。人の基本的なものの考え方ってよっぽどのことがないと変わらないので。嘉納は「俺は人間だ」って言うけど、皮肉なことにほんとに普通に人間のままなんですよ。ゾンビ成分なし。

 

どっちかというと、この二人よりもヒューマニストのほうが断然哲学的ゾンビに見えました。親から与えられたシビュラ憎しのマニュアルに沿って言葉や行動を出力している。本当にシビュラは悪なのか?なぜ悪なのか?という個人の思考は彼らにあったんだろうか。このことに限らず、親に与えられた価値観って自分の思考を挟まず定着してしまうことって多いですよね。後々自分で疑問を持ったりしていればいいんですが、それがなければ貴方も私も哲学的ゾンビです。

 

 

・九泉と嘉納の対比

人好きのする人物だった嘉納が真実を知った後どんどん人間でない何かになっていくのと、何者かわからない継ぎ接ぎの九泉が真実を知って人間になるのとの対比、脚本としても演技としても見事だった。

この二人、物事の判断基準が自分の外にあるか内にあるかという点でも対照的だと思うんですよね。嘉納にとってのあるべき(ありたい)姿は「クリアな、潜在犯でない人間であること」で、九泉にとってのそれは「シビュラ的・社会的によしとされなくても、母親を殺さないような人間であること」だったので。

もっと言うとアイデンティティを他者に依存するか、自分の内側に持つかということにも繋がるのかな。真実を知って(=アイデンティティを揺らがされて)、嘉納は壊れ、九泉は逆に憑き物が落ちたみたいになったのは、そこの違いなのではないかと思う。自分の外側にあるもの(例えばサイコパスの数値)を自分であることの根拠にすると、そこをひっくり返されるとガタっとくるよね。その点、自分が自分たる根拠を自分の中に持っているのは強い。

九泉、自分の真実を知らされた時よりも嘉納の裏切りの方が信じられないみたいな顔をするのに、1ミリも嘉納には歩み寄らないんだよなあ。これ、嘉納がテロリストで仲間を手にかけているから、ではなく、自分は刑事だから、なんだと思う。自分は刑事であるという、自分の中にあるアイデンティティ

 

対比といえば、偽物と本物というテーマも強調されてたなと。九泉/嘉納、哲学的ゾンビ/人間、あたりに絡めて井口先輩の「フェイクだけど、それならではの役割を果たす」カフスボタンとか、相田の「本物じゃなきゃダメ」な海とか。そういう構造がきれいだとワクワクします。

 

 

・ 嘉納の心情推移とか動機の整理

直接的には語られなかったので、ざっと順番に考えてみました。

表面上の動きとしては、自分がクリアになったというのはシビュラの嘘だと知る→そんな非人道的なことをする「悪質な」シビュラは破壊しなければならない→目的だけ同じヒューマニストに加担、というところかな。でも軸にあるのは常に、精神的な自己保身かなと思っている。 

以下ちゃんとした文章にするとまた長くなるのでメモ書きのままです。

 

信じていたものはシビュラの偽装だった。本当はクリアではなく監視官の資格はない。偽物なのに本物だと思われる後ろめたさ、いつかバレるかもという恐怖、不適格なことをしている罪悪感に苛まれる。

そんな苦しみや孤独はシビュラのせいだという被害者意識が生じ、シビュラを壊すことが正当だという思考に発展。その手段としてヒューマニストに加担するが、テロリストになってしまった、人殺しの片棒を担いでしまったという自己嫌悪がさらに上乗せされる。これでよかったのか分からなくなり自分を見失う、自分が何者か分からなくなる。孤独が増す。

契機としては小規模サイコハザードの被害者が処分されるのを見たことと、目白を撃ったこと。もう戻りようがないところまで来てしまった。自分では戻れないので大城に殺して欲しい。甘え、縋り。でも殺してもらうためにはすべてを告白することになるし、つまりそれは大城の敬愛する嘉納ではなくなるということで、それが怖くてできないでいるうちに事態はどんどん進展し、大城は瀕死になってしまった。時間切れ。もう殺してくれる人はいない。このまま進むしかない。

執行官たちもヒューマニストも死んで誰もいなくなったところに、九泉だけがいる。真実を知った、自分と同じ「被害者」の九泉だけ。彼がいれば、もう孤独ではない。きっと自分のしていることをわかってくれるし、そうなれば自分が間違っていなかったことも補強される。しかし九泉がその手を取ることはなかった。

 

自覚はなかっただろうけど、嘉納にとってシビュラの支配を潰すこと自体の社会的意義はあまり重要ではなかったのではないかな。「シビュラは悪質だから潰さなければ」と思うことで自分が自分であること、人間であることを担保したかっただけで。それってマニュアルを自分で作って自分でゾンビになってるようなものなのでは、と思うし、結局嘉納は何物でもなくなってしまった。

 

嘉納さんってほんとに人間らしい普通の「いい人」というか、叩かれたらそこがへこむ、みたいな柔らかい、別側面から言えば弱い人だなと思っていて。

まあ手段にテロを選ぶあたり思考の方向性が潜在犯ではあるんだけど、潜在犯的な素質があることと人間的ないい人であることというのは別軸だし、両立しますよね。

目白のこと撃っちゃうのに殺せないの、すごく嘉納らしいなと思いました。もちろん「知りすぎた」からという実質的な理由かつ大義名分はあるけど、それ以上に怖くて撃った部分もあるのかもしれないなと。目白のテロリストへの怒りとか憎しみ悲しみを聞いてしまって、その気持ちの矛先が自分に向かうと思うと怖くて、恐怖に駆り立てられて撃つ。精神的な自己保身としての殺傷。

嘉納さん、基本的に自己肯定感が強くなくて、だから基準が他人に移りがちなんだろうな。他人の中にある自分と自分自身をイコールにしたがっているように見えたし、いつも後ろめたがって怖がっていた。目白を撃って隔離施設から戻ってきたあとのあの怯えた顔ね…。

でもだいたい人間そんなもんじゃないですか。他者に依存せず強固なアイデンティティを持つなんてそうそうできない。そういう人間らしい柔らかさ、弱さがあるのが嘉納だと思っていて、それを丁寧に演じられてるのがすごく好きでした。

 

 

 

ほかの3係メンバーのこととか言いたいこと山のようにあるんだけど、キリがないのでこのへんで。

PPVV、フタを開けてみれば全員潜在犯の話でしたね。社会的弱者の話。見事に全滅した…まあそうですよね……。アニメではスポットの当てにくいシビュラ社会の陰の部分、犠牲者たちを描くのは、シリーズ的にも有意義だったのではないかなと思いました。社会を論じるなら必要な視点だと思うので。

こういう方面で思考フル回転させられる舞台も楽しいな。アニメ3期も楽しみです。